実は日本人は世界でもトップレベルに美術館に通っていて、お金を落としている国民です。でも美術で使われる用語や形式などは曖昧でわかりにくいですよね。大学の講義は眠たくなるし、本を読んでもわかりにくい!そこで今回は、美術を全く知らない人でも分かるように美術の知識を教養として学べるようにまとめました。第一弾は美術の古典主義についてです。美術の背景や歴史を知る事で、美術館に行くときにも作品の見方が拡がって楽しさが倍増しますよ。
目次(Contents)
古典主義ってなんだろう?
今回扱うのは古典主義について。古典主義ってなんでしょう?
一言で言うと、美術で言う古典主義とは「ギリシャ・ローマに範をとったもの」を示します。後世の人がギリシャ・ローマ時代の芸術を理想とすること、これを古典主義というのです。そしてクラシズム、古典主義と言われるのはギリシャ・ローマの復興という意味合いもあります。
古典が指すのはギリシャローマと一括りだが、実はそれぞれ違う。古代ギリシャとローマ美術について。
古典主義は古代ギリシャ・ローマ時代の美術と一括りにしていますが、いくつか違う点があります。大元となったのはギリシャ美術で、時代もギリシャの方が古いです。まずは古代ギリシャ美術から見ていきましょう。
■古代ギリシャ美術の特徴
古典主義の大元となる古代ギリシャ美術。時期としては紀元前5世紀~3世紀に当たります。古代ギリシャの代表的な作品はパルテノン神殿の破風彫刻です。特にエルギン・マーブル(Elgin Marbles、Parthenon Marbles)と呼ばれる作品群が有名です。英国人エルギン伯爵トマス・ブルースが戦争を口実にギリシャから持ち帰り、大英博物館に保存されています。
ギリシャ美術の特徴は、肖像彫刻類は無く、神々の像だけが存在しています。当時の英雄も神格化され、父親が神様だという半神の設定で描かれたり、神話の中での神々が美術作品として形作られました。具体的には映画やアニメのモチーフとなっているヘラクレスや、トロイ戦役、アキレス神などです。人々では無く神格化されたもの、神々を生き生きと描き出したのがギリシャ美術です。
■ローマ美術の特徴
ローマ美術は紀元前1世紀~3世紀ごろ起こり、ギリシャ時代の芸術をアレンジしたのがローマ美術の特有とされる肖像彫刻です。ギリシャにない肖像彫刻ですが、技術としては古代ギリシャ美術のコピーや模倣にとどまっています。
アレキサンダー大王によりヘレニズム(ギリシャの文化的性格の事)が広まり、ローマにギリシャ美術の影響が広まる過程で皇帝や貴族の肖像彫刻がたくさん生まれました。ヘレニズム期と言われるギリシャとローマの移り変わりの時代の作品には教科書でおなじみの「ミロのビーナス」や「サモトラケのニケ」があります(2世紀頃の作品)。
ギリシャ・ローマ美術の終わりはローマ帝国にキリスト教が入ってきたから。
ローマ美術は基本的にギリシャ美術のコピーでしたが、古代ギリシャ芸術の良さを肖像彫刻として伝える役割がありました。しかし、このギリシャ・ローマの芸術も終わりが来ます。
それは、コンスタンチウス帝がローマ皇帝となりキリスト教を持ち込んだからでした。このキリスト教化する前と後でギリシャローマの区切りが付けられています。
キリスト教化が進んだローマでは、ギリシャの宗教が禁止になりました。ギリシャ神話は邪教として扱われ、ギリシャの神々が追いやられていきました。ローマの家にはそれぞれほこらがあって、そこにローマを象徴するカエサルの守護神であるビーナス像などが置かれていましたが、その像が聖母マリア像に変化して行きました。旧ローマ帝国内ではキリスト教には無かったマリア信仰が普及したのはこの背景があったからです。ギリシャ・ローマの神々は姿を消し、殆どは破壊されたと言います。キリスト教は排他的なのですね。
ギリシャローマの美術は一旦全て破棄されて、中世という時代に入っていきました。しかし、後にルネッサンス(人文主義)という形で復興することとなります。このルネッサンスの時代に「クラシック」という考え方が出てくるようになります。
ルネッサンスとラファエロ
ルネッサンスとは、中世に起こった「ギリシャ・ローマ時代の芸術の復興運動」です。人文主義ともいい、最もクラシックを体現した人がラファエロでした。ラファエロは古典の形に添って、クラシックの理念に沿って造形した作品を作りました。「アテナイの学堂」として知られる作品がそれです。ラファエロ作「アテナイの学堂」には古典彫刻の形が織り込まれながらも、いくつか同時代のミケランジェロの作ったフォルムや、ダ・ヴィンチが作った形が入っています。まさに古典主義の典型作品です。
絶対王政時代。アカデミー(Academy)の誕生と古典主義
ルネッサンスの後、絶対王政の統治の仕組みが拡がるようになるとアカデミー(academy)という王室公認の美術組合が出来るようになります。今で言うロイヤル(Royal)と名前がつく王室の権威づけの仕組みと同様、権威ある団体として扱われていました。哲学者、文学者、詩人、科学者などもアカデミー会員となることができました。
そのアカデミー(Academy)が古典主義を中心に据えることになりました。アカデミー(academy)はラファエロに模範をとった古典主義の定義、ラファエロを中心に古典美術・ルネサンス美術を見るという見方を中心に据えました。ラファエロの作品こそが古典主義であり、ラファエロに沿ったもの以外は古典主義として認められないとされました。
これに大きく対立したのがプッサンやミケランジェロの系統を受け継ぐルーベンスです。ルーベンスは古典主義では無く、クラシックではありません。
バロック時代と古典主義とルーベンス
バロック時代の特徴は、片方にアカデミー(Academy)のラファエロの古典主義があり、片方にバロック美術を代表する画家ルーベンスがあることです。バロック美術と言えばルーベンスであり、動的で躍動感を強調しているのが特徴。ルーベンスはミケランジェロの伝統を受け継いでいます。その大元はベルベデーレのトルソ(belvedere torso)です(ヘレニズム期の彫刻)。
ルーベンスはミケランジェロの側からギリシャ・ローマ美術の良さを解釈しました。具体的には、ラファエロの古典主義は調和を重視しましたが、ルーベンスやミケランジェロは感情や躍動感を重視しました。
ちなみにバロックの発端は宗教改革です。そのときイタリアの文化人グループがフランスに移りました。フランスでは、マリドメディシス(メディチ家)がパトロンになり、ルネッサンス美術が移植されました。ルーベンスはマリドメディシスの生涯を大作として残しています(「マリー・ド・メディシスの生涯」Wikipedia)。
彼女の失脚と共にフランスの絶対王政が確立し、フランスにもアカデミー(academy)が生まれました。
まとめ+新古典主義について
最後にまとめると、古代ギリシャ・ローマを模範とする芸術を志向するのが古典主義ですが、時代により人により古典主義の指すところは少し違っています。重要な点としては、絶対王政のアカデミー(Academy)の時代に古典主義という主義主張が出てきました。鮮明なイメージとして古典主義をラファエロのような均整と調和を保った作品として定義し、バロックのような動きがある作品を古典主義から排除していました。
新古典主義というのはフランス革命の時に出てきますが、これはアカデミー(academy)時代の古典主義を言っています。それに対抗したのがドラクロア(ロマン主義)であり、そのドラクロアはルーベンスを手本としていました。こうしてみると、アカデミーの伝統である古典主義と古くはミケランジェロから続くルーベンスの躍動感を持ったバロック美術の二つ流派が流れていることが分かります。どちらもギリシャ・ローマ時代の芸術から影響を受けています。
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参考・出典
・「美術の歴史」H・ジャクソン&カウマン著 木村重信・辻成史訳 創元社 (1980/01)
・「A BASIC HISTORY OF ART」by H.W. Janson and Samuel Cauman published by Harry N. Abrams, Inc New York 1971