美術の教養を身に付けて作品を見る目と創作に活かそうという目的の美術の時間。第8回目は現代美術の評価軸の主要概念となっているイコノグラフィー(iconography)についての解説と、コンセプチュアルアートという現代芸術作品を支配している考えについて見ていきます。
目次(Contents)
イコノグラフィー(iconography)って何?そもそもイコン(icon)とは?
現在、大学や美術館職員になるための教育ではイコノグラフィーの考え方が占めています。大学の教養科目などで美術史を学んだことがある人はお気づきかもしれませんが、教育機関で扱われている美術史はイコノグラフィーの視点で語られ構成されています。
では、イコノグラフィーとは何なのでしょうか。
まず、意味を伝えてる図を持つ絵画を図像学的絵画といって、意味を持つ図をイコンといいます。絵の中に隠されたイコンを探すことによって絵画の意味を探る試みをイコノグラフィーと言います。
言い換えれば、イコノグラフィーは図像学であり、イコン(図)が何を意味しているか、例えば紋章とか花言葉とか、その模様に付随するアトリビュート(属性)によって作品を評価する視点の事です。
例えば椰子の葉が描いてあればそれは殉教した聖人を表している、と解釈します。同じように聖人が10人描かれても、彼らの顔の違いでは無く持ち物の違いで誰だか判別します。顔は同じだけれど持ち物や服装の違いで人物を描き分けるという点は今の漫画に近いものがありますね。
イコノグラフィーは時代と結びつく
イコノグラフィーの考え方はその作品が生まれた時代性と結びつきます。
例えば、ある時代鷲が描かれていた箇所が後に百合に置き換えられたとすると、その時代にフランス王がその地域を支配したことを作品が意味するようになります。日本で言えば、徳川の紋章が入っているか入っていないかで戦の情勢が理解できるというようなものです。
絵画から時代性を読み解くイコノグラフィーは絵画を歴史の第一資料として評価するという美術品の評価軸を与えました。これを裏返すと、その時代のイコンを最も多く含んだ絵画がその時代の一番の絵画作品として扱われることになります。
ルネッサンス芸術をイコノグラフィーで読み取ると、ダヴィンチやラファエロがメインでは無く「ヴィーナスの誕生」で有名なボッティチェリが評価されます。
ボッティチェリの絵画には当時の政治勢力が図像学的に表現されているから、というのが彼が評価されている理由で、時代性の表現という観点から作品が評価されます。
他にもピカソの「ゲルニカ」という作品は、ゲルニカの町がフランコ政権によって空爆を受けたことをテーマに描いた、とピカソが発表したので今では教科書にも載る20世紀を代表とする作品として扱われています(しかし、実際はピカソの日記や記録によるとゲルニカの原型はピカソの個人的な愛憎劇を描いたもので空爆とは関係が無かったと言います(空爆前のエスキースの存在から示唆される))。
このイコノグラフィーの流れで言えば、20年後、30年後の代表的な絵画は冷戦を表現した絵画となります。作品の技術や技巧よりも、時代性の結びつきが評価されるのです。伝統的な古典技法に基づいた虚構や物語を描く絵画よりも、その時その時代のイコンを多く含むジャーナリスティックな絵画の方が価値があると見るのが現代美術の評価軸です。
なぜイコノグラフィーが現代の主流なの?それは市民美術館の発達により、税金を投資する客観的な評価軸をイコノグラフィーは提示するから
現在はどこもかしこもイコノグラフィーで絵画を歴史的資料として読み取る流れが主流ですが、これには理由があります。
根底には19世紀以来発達した公立美術館の発達があり、税金を使って美術品を買い上げるための客観的理由付けとして、イコノグラフィーが使われているのです。
税金を出費して美術品を購入するということは誰が見ても納得出来る理由が必要と言うこと。その作品が好きだから買いたいというのでは意味を持たず、この作品はイコノグラフィー的に言って歴史的にこれこれこういう価値があります、だから買います、ということで誰もが納得できる客観的な裏付けを取るわけです。
時代性が表現されていれば歴史的資料として税金を投入できる、という訳です。
マルセル・デュシャンの泉がもたらした衝撃。キャプション(説明書き)によって作品の位置づけが変わるコンセプチュアルアートと言われる現代美術のもう一つの流れ
こうしたイコノグラフィーは時代性と図像を結び付け、歴史的資料として絵画を評価する評価軸をもたらしました。
その延長線上で作品のキャプション(説明書き)によって作品の位置づけが変わることを作品の主要命題としたマルセル・デュシャンの「泉」という作品があります。これは磁器の男性用小便器を横に倒し、”R.Mutt”という署名と「泉」というタイトルを付けただけのとんでもない作品?でしたが、当時の人々に与えたインパクトは大きいものでした。
目の前の物は変わらないけれど、それに説明書きなりタイトルなりを加える事、見方を変える事で新しい体験が出来るのをアートとしたのです。これが現代にも続くコンセプチュアルアートの源流であり、ルーチョ・フォンタナの「切り裂かれたキャンバス」や全く何も描いていない無地のキャンパスがそのまま作品として提示されるなど今に続く何でもありのカオスな状況になっています。
イコノグラフィーやコンセプチュアルアートに共通しているのは、ビジュアル的な画面の問題は存在しないということです。コンセプチュアルアートとなると目の前の物ですら重要ではなくなっています。
そしてこうした作品をファインアートとして上に扱い、ミュシャのような伝統的な古典絵画の技法に基づいて新たな画面(イラストレーションという視覚言語)を作り出した人達は単なるイラストレーターとしてファインアートではないとして下に置きました。本来は美術の伝統技法を受け継ぐミュシャの方こそファインアートとして評価されるべきですが、時代はイラストレーションは2流という評価付けをしてしまったのです。イコノグラフィーが評価軸となった事で、これまでの伝統的な作品の物理的なビジュアルの側面(技術力や造形力)が重視された時代からコンセプトを重視する時代へと移り変わりました。
美大に入ったのに自分の絵を描かなくなった人が多い理由、美大に入ったのに自分の好きな絵が描けない理由、評価されない理由はこうしたイコノグラフィーやそれに続くコンセプチュアルアートといった評価軸で判断されるからです。
時代性を描くことが評価されるので、戦争や震災、LGBTなどをテーマにした作品が評価され莫大な補助金が出ます。
古典絵画の技法や伝統は評価されず、現代美術によく分からない作品が多いのは、こうしたコンセプチュアルアートという大義名分を抱えた作品でしか評価されない現代ならではの事情もあるのです。
これまでの古典絵画が扱ってきた伝統技法を使った対象を描き、虚構の世界や物語の画面を描き出したい人達は漫画やアニメ、ゲーム、CGの方に行くことになります。
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参考・出典
主にイコノグラフィー関連。現代はイコノグラフィーの視点から美術史を読み解くのが主流となっている。
・「美術の歩み (The Story of Art)」エルンスト・ゴンブリッチ 美術出版社 全2巻、1972年、新版1992年
・「芸術と幻影(Art and Illusion)」岩崎美術社「美術名著選書」1979年
・「イコノロジー研究 ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ」エルヴィン・パノフスキー 筑摩書房
・「美術の物語」エルンスト・ゴンブリッチ,ファイドン
・「デュシャン NBS-J (タッシェン・ニューベーシック・アート・シリーズ)」 タッシェン・ジャパン (2001/6/13)