美術の教養を身に付けて作品を見る目を養い、創作に活かそうという目的の美術の時間。今回は西洋美術におけるヌードについて扱います。なぜ西洋絵画には多くの作品に裸体の女性が描かれているのでしょう?
目次(Contents)
純粋な形にこそ本質が現れる:プラトンのイデア論の影響
なぜ絵画作品に裸が描かれるのでしょう?それは古代ギリシャの哲学者、プラトンのイデア論とルネッサンス期の画家達の古代理解にあります。
上の作品は古典絵画の巨匠ティチアーノの「聖愛と俗愛」1515年(ボルゲーゼ美術館)ですが、片方は服を着て、片方は裸です。そして重要なのが、神聖な愛の方が裸体で、俗なる愛の方が服を着ている姿で描かれていることです。
これは、古代ギリシャの哲学者プラトンのイデア論の影響があります。イデア論とは一言でまとめてしまえば、現実にあるものは天上界にあるイデア(概念)のコピーであるとするもので、天上界に存在するそのもののイデア(概念)こそが最も純粋で真実の姿であるとする、現実世界にあるものは全てイデアの影だとする哲学的な概念です。
これを美術作品に応用すると、純粋な形は本質を表すということです。本質を表したのが装飾のないヌードというわけです。
ルネサンスは古代ギリシャ・ローマを復興させる運動ですが、こうした古代ギリシャのプラトンのイデア論の影響もあり、ヌードであることは聖なるもの、天使や女神、聖人や殉教者を描くものとされました。古代ギリシャ人達は神話の世界を描くため、多くの裸体の神々を描きました。プラトンのイデア論は古代ギリシャ・ローマ時代に女神がヌードとして描かれる根拠となっていたのです。
とはいえ、やはり裸はイカンだろうという声もあった。
純粋なもの=裸体こそが真実と結びつく…こうしたプラトン哲学の理解はルネッサンスの人達にも影響を与えましたが、やはりあまりにも裸体である事はひんしゅくを買うこともありました。
例えばミケランジェロはガチガチのネオプラトニズムでした。これはプラトンのイデア論を絶対視するもので、本質でなければならないと強く志向するもの。彼の有名な作品に「最後の審判」(バチカン、システィーナ礼拝堂)がありますが、彼は罪人や普通の人々を含む画面の全員を素っ裸で描きました。さすがに当時の教皇庁もこれには反対で、服を着せることをミケランジェロに要求しましたが、彼はそれを拒否。仕方なくミケランジェロの弟子が服を着せたと言います。
人間の本来のかたちは裸体なので、ミケランジェロは本質を表すために全員を裸で描いたのです。
絵画は知識人のもの。では一般民の世俗のヌードはどういう扱いだったのか?
ヌードである事は神話の神々や神聖な対象であることを示す為のものですが、当時の絵画は知識人のためのもの。こうした事情は知識人にこそ分かるものの、一般の人達には分かりません。一部、一般に流出したヌード作品は市民の目にはただのピンナップやポルノグラフィーのようなものとして映っていたと言います。
そして古代ギリシャ・ローマからポルノグラフィはあり、火山の噴火で当時の人々の様子がそのまま保存されているポンペイ遺跡には娼館に一般大衆の性俗を描いた作品が残っています。女神の裸は理念や概念を描きますが、娼婦の裸は違うものです。民衆レベルでは俗愛しかなく、崇高な概念がないから知識人のような見方はできません。同じヌードとして描かれるものは同じだけど、裸が意味するものは何かを知っているか知らないかで見方が変わるのです。
絵画作品に見られるヌードとイコノグラフィーの例
イコンとしてのヌードは聖なるものを描くのですが、ここで少し例を見てみましょう。
七月革命を描いたドラクロワの作品は女性の胸がはだけています。これは、一般的な女性が革命に立ち上がった事を描いたというよりは、革命を起こしていく中で民衆の中から女神が現れてきた事を意味します。胸をはだけさせることで神という理念、イコン、象徴を描いています。
フランシスコ・デ・スルバランのシチリアの聖アガタという作品は、聖アガタがお皿の上に乳房をのせています。これは、殉教者としての彼女の存在を描いています。お皿に乳房を乗せて立っていればその人は聖人ということです。
■ジャンヌダルクは?
これで気になるのがフランスのジャンヌ・ダルクですが、彼女はヌードではなく鎧を身につけた姿で書かれています。これは愛国と戦いの神であるミネルヴァ(パラス・アテナ)と結びついたからだと言われています。
新古典主義のアングルの登場でピンナップが誕生した?
ここで少し時代は飛んで19世紀の新古典主義の時代を見ていきましょう。
当時、新古典主義のアカデミー(画家組合)では女性のヌードは禁止されていました。アカデミーで描くものは男性か老人で、モデルが男性のため女性はアカデミーには入れませんでした。
魅力的な女性を描くドミニク・アングルは泉の精霊として裸の女性を描きましたが、これはアカデミーで描いたのでは無く趣味で女性をモデルとして雇い、作品を描いたといいます。彼自身はお遊びでサロンにも出品しましたが、アングルは精霊として裸の女性を描いたのに、民衆にとってはエロスを感じさせるような女性の裸が描かれていたので話題になり、アングル自身もこうも話題になるなんて驚いたといいます。これが世俗の性愛を描くピンナップの始まり、ヌードが絵画に氾濫するきっかけに繋がった…とする見方もあります。
アングルの時代まではヌードを描くという事は女神や精霊を描くということが建前でした。その前のロココ時代は壊れた壺を持った少女は処女を失った事を意味するものでしたが、きちっと服を着せていました。
現代はどうだろう?日本の場合は?何かしらの理念と結び付けているのが現代のヌード。
現代のヌードは女性の権利やLGBT、リアリズムといった権利や理念、立場と結び付けられて描かれています。
例えばメキシコの現代絵画を代表する画家フリーダ・カーロはメキシコの革命家と結婚しており、自分の自画像を発表する時に、「傷ついた私」という概念と結び付けています。
日本の場合はラファエロ・コランという画家に師事した黒田清輝が日本に洋画を持ち込んだことの影響が大きく、ちょうど新古典主義と印象派が重なった時代でした。ラファエロ・コランのアトリエを通じて日本の洋画の伝統がはじまるのですが、西洋のプラトンのイデアをルーツとしたヌードを描く伝統と印象派の色彩感覚がごちゃ混ぜになっている印象を受けます。
日本はプラトニズム(裸体=本質のイデアを画面に反映する)の輸入が浅いため、ポルノグラフィー(ピンナップ)と理念や神話・概念を描くヌードが曖昧で、リアリズムと言いながら若い女の子しか描かない作品…もあったりします。海外の作品では女性以外のヌード(男性も老人)も多く描かれているので、同じヌードでもどういう対象が描かれているかに注目するのもいいでしょう。
個人的に日本においてヌードの伝統を活かし、女神像を最も表しているのはゲームや創作の世界という印象があります(イコンの伝統がデザインに反映されている。女神→神聖なもの→裸婦みたいなイメージ。)。
名著、ケネス・クラーク「ザ・ヌード」は何が書かれているのか?
美術作品に関連してのヌードを扱った本に、美術史家ケネスクラークの「ザ・ヌード」という本があります。
これは形態が一定の役割を果たす、人の形やポーズが一定の感情と結びついているという見方で、別の言い方をすれば、一つの形には歴史があって、形態は感情の歴史だとする見方です。
一定の感情が一定のポーズと結びつく。それは普遍的で時代を超えるもの…。こうした見方は心理学で言うユングの原型論と似た部分があります。
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参考・出典
・「ザ・ヌード」ケネス・クラーク (ちくま学芸文庫) 文庫 – 2004/6/10
・「アングル Ingres」 NBS-J (ニュー・ベーシック・アート・シリーズ) タッシェン・ジャパン (2008/7/18)
・「ティツィアーノの諸問題―純粋絵画とイコノロジーへの眺望」エルヴィン パノフスキー (著) 言叢社 (2005/08)