【美術の時間15】ロシア構成主義とは?今に続く現代美術の価値基準に影響を与えた、革命を目的とした「反伝統美術運動」

【美術の時間15】ロシア構成主義とは?今に続く現代美術の価値基準に影響を与えた「反伝統美術運動」

【美術の時間14】ロシア構成主義とは?今に続く現代美術の価値基準に影響を与えた「反伝統美術運動」

今回はデザインを学んでいるといつか聞くことになるロシア構成主義について分かりやすくまとめます。ロシア構成主義は現代のモダンアートに繋がる価値観の大元となった概念で、主に改革のための運動です。なぜ現代作品によくある「訳が分からない」モダンアート、コンセプチュアルアートに何億円も価値がつくのか、歴史の流れを知る事で現代アートの評価基準がどこから来たのか知る事ができます。

ロシア構成主義とは?

エル・リシツキー「Beat the Whites with the Red Wedge」(1920年)伝統的な具象芸術を否定し、純粋無垢な正方形や長方形、三角形などの抽象的な形を重視した。

ロシア構成主義って何?という感じですが、美術で社会改革を試みた運動のことです。

ロシア構成主義の特徴は、反伝統・反情緒であり、純粋な正方形や立方体といった図形を重視しています。ロシア構成主義はデザインや建築などの分野で一定の成果を収めたバウハウスという運動にもつながり、現代美術を席巻しているモダンアート、コンセプチュアルアートの大元となった概念です。

ロシア構成主義は革命の思想です。これまでの伝統的なものを破壊し、社会を革新するために生まれた概念です。

1912年頃、革命美術家としてスイスやドイツを経由して多くの青年美術家集団が既存の絵画的な価値から離れて純粋な美術、視覚芸術を目指してそれによって新しい社会を作ろうとしました。

彼らが見本としたのはイギリスで興ったアーツアンドクラフト運動です。アーツアンドクラフト運動一般庶民の生活を美術の力で新しい意識に変える(大量生産の粗悪な品物に囲まれた生活から脱して、高い芸術的な美意識と生活を統一する)ことを目的としており、ウィリアムモリスやマッキントッシュらが活躍しました。イギリスで興ったアーツアンドクラフト運動は伝統美術的な価値観をブルジョワではなく一般市民にも触れる機会をもたらすことで、生活を向上させようとしたのです。

ウィリアムモリス 『イチゴ泥棒(The Strawberry Thief) (1883)』。 ロシア構成主義が見本にしたアーツアンドクラフツ運動のウィリアムモリスの作品。日本でも人気のアールヌーボーのミュシャはこの流れの延長。ちなみにロシア構成主義はこの模様ですら情念がこめられているとして否定した。

アーツクラフト運動にロシア構成主義の人は感化され、実際にイギリスまで見に行ったりもしました。彼らはアーツクラフト運動の思想をロシアに持ち帰り、イギリスと同様に美術で社会改革をやろうとしたわけです。

実際に1917年に革命が起こり、ロマノフ王朝が打倒されます。ロシア構成主義は初めは身の回りの細かな所から始まり、徐々に建築、都市、モニュメント、メディアなどにもロシア構成主義の思想は及んでいきます。

シュプレマティズムとは?ロシア構成主義は現代のモダンアート、コンセプチュアルアートの根底を成す。

ロシア構成主義のカジミール・マレーヴィチの作品「Eight Red Rectangles」(after 1914)

ロシア構成主義の流れで生まれたのがシュプレマティズムです。これは、絶対主義、究極主義というもので、究極は具象に依らないという主張です。ロシア構成主義のカジミール・マレーヴィチ(Казимир Малевич)は人間の情緒を否定し、徹底的な抽象を求めました。

他にもロトチェンコは正方形や円も不純であり、真に純粋なのは線だ!として対角線を書いたデッサンなどを残しています。マレヴィッチは「白の上の白」という白いキャンパスの上に白い正方形を置いた作品を出しましたが、ロトチェンコは「黒の上の黒」という「何も価値のないものの上に価値のないものを置く」といった作品を残しました。今で言うコンセプチュアルアートに近い作品がその当時始まったのです。ロトチェンコはそのあと写真家として写真を構成したり、主にデザインの方面に進んで行くことになります。

アレクサンドル・ロトチェンコ(Alexander Rodchenko) 『黒の上の黒(Black on Black), 1918』現代で言うコンセプチュアルアートみたいなもの

もう一人、エル・リシツキーは大衆誘導の方に進んでいきました。これは戦後のアメリカのCMコマーシャル理論や宣伝工作理論の元になっていきます。具体的には大衆をどう誘導するか、ポスターなどのデザイン、ライトやスピーカーをどう設置するかというメディア工作(プロパガンダ)などです。

エル・リシツキー(El Lissitzky) 『Proun, 1922年 – 1923年』彼は新しいものの確立を「プロウン」といって、プロパガンダに力を入れた。

今で言うコンセプチュアルアートの元と言われるものはロシア構成主義の流れが大元にあります。

ロシア構成主義では唐草模様などの「模様」も人間の情緒を反映させているから否定されました。ロシアで勃興した美術革命家集団は、伝統的な具象絵画などの主観が入っている作品を忌み嫌ったわけです(革命を起こしたいが為に)。その中で、少しでも主観が入った作品を作りたい作家は追い出されていきました。

ロシア構成主義のビジョンを引き継ぐバウハウス

その追い出された人達はドイツのバウハウスという機関に集まりました。デザイン史を紐解くと必ずバウハウスという名前は出てきますが、基本的には、ロシア構成主義の理念が尾を引いているのです。

バウハウスに集まった一人に抽象画家のカンデンスキーがいます。彼はロシア本国でいう模様だから主観を描いている批判に対し、そこには客観的な理論があると言おうとしました。

ワシリー・カンディンスキー 『Composition 6, 1913』

バウハウスはいわばロシア構成主義の亜流というもので、絵画を離れた美術的価値を追求していきました。ドイツのバウハウスにはヨーロッパ中の同じ思想の人が集まり、カンデンスキーの他にもイッテンやグロピウス、クレーが有名です。ちなみにシャガールはパリに行き、より絵画のほうを追求した結果、エコールド・パリというピカソやブラックなどらがいる前衛美術家集団の仲間入りをします。

バウハウスは溶材、つまりガラスとか鉄とか建築工法などを根拠にした美術を目指しました。要するに、人間の情緒ではない部分で造形の説得性をもたらそうとしました。特にその当時新しかったのが鉄とガラスで、鉄やガラスを活かした建築、家具、オブジェなどが作られました。

しかし、そのバウハウスもナチスによって閉鎖させられることになります。ナチスが絡むことで伝統的絵画とロシア構成主義を底流とするモダンアートの概念は政治色を強く帯びる事になります。

ナチスの影響で否定されたロシア構成主義。モダンアートは政治色を強く帯びて権威を得る。

ナチスによって閉鎖されたバウハウスにいた人の多くがアメリカニューヨークに入っていきます。彼らが現在のモダニズムアートの理論的な基礎を作っていきます。それは「非絵画」という価値観です。

ナチスはロシア構成主義の流れを否定し、伝統的な絵画を擁護しました。その結果として、ナチスなど東ドイツ系は伝統美術を重んじ、アメリカなどの西側諸国はロシア構成主義の立場に身を置くことになります。

ナチス下の東ドイツは抽象を禁止しました。ナチスに対抗する西ドイツは具象絵画をナチと呼び、具象を禁止しました。それが今でも続いており、西ドイツのベルリンなどは未だに正方形・円が究極の形である概念に縛られ、今でもモニュメントは立方体で作られています。

ナチスとの戦争の経緯から、モダンアートはより政治色を帯びるようになります。政治関係では戦争当時西側についた勢力下で新しく生み出されるアートは全部「モダンアート」になります。戦後のアメリカの美術界を席巻したモダンアートが東西対立の時の西側の戦略となっていきました。

戦争に勝利したのは西側諸国であり、今に繋がる抽象的な現代のアートの権威に繋がります。ナチスによって否定されたロシア構成主義からの影響を引き継いだモダンアートが権威と名声を手にしたわけです。言い換えればそれは伝統的な具象アートの否定です。戦時下に西側諸国につくためにはモダンアートでなければいけなかった背景もあり、行政関係は西側につくために徹底して伝統美術を捨て、モダンアートを評価するようになりました。伝統的な具象美術はナチス的な物として排除され、モダンアート的でないと地位や名声は与えられないようになりました。

ちなみに、ロシア構成主義のロシアはどうだったかと言えば、レーニン体制が完成したころ体制を安定させるため過激派、革命派の人達を追い出す流れになっていきました。ロシアは結果として抽象を禁止し、ロシアに残った人はイリヤ・レーピンなど伝統的な具象絵画の作家も生まれてくるようになりました。

ロシア構成主義の成果はデザイン分野にあり

ル・コルビュジエ 『サヴォア邸(The Villa Savoye in Poissy) (1928–1931)』画像出典Wikipedia CC BY-SA 3.0 Valueyou

ロシア構成主義の流れをくむモダニズムは主に建築・デザインで成功しています。例えば建築家コルヴィジェは立方体を基本としたものをピューリズムとしましたが、ロシア構成主義で言うシュプレマティズムと同じです。

またエディトリアルデザインの分野では正方形を基礎にした考え方をします。これはバウハウスが用具や溶材に基づいた造形を指向するからで、例えば雑誌は長方形が効率的で、長方形である以上直角を含むから立方体的にデザインを考えるのは理にかなっています。

ロシア構成主義は具象とか趣味を排除したところに純粋なデザインの原点を見つけた点において建築・デザイン分野では十分な成果を上げたと言えるでしょう。

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