最近集中力が無くなった気がする…長い文章を読む能力や本来するべきことへの意欲や集中力が欠如してきたような感じがする…。現代ほど集中力、注意力という資源が容易に侵食される時代はないかもしれません。その原因は大量に氾濫しているニュースなどの情報にあります。
テレビではショッキングでネガティブなニュースを延々と報道し、ネットではYoutubeやTwitterなどのSNS、ニュースサイト、まとめサイトを筆頭に日々大量のニュースが作られ垂れ流されています。
そのニュースのほとんどが本質的に自分とは関係のないことばかりです。ですが、私たちはついニュースを見てしまいます。ニュースを見ることは社会人の務めででもいうかのように、私たちは普段から無意識に様々な情報に目を通し、報道される内容から悲痛な気持ちを共有し、義憤にかられ、自分の意見を持ち始めます。これは別の言い方をすれば私たちは普段接するニュースでかなりのエネルギーを消耗していると言えます。
本書「News Diet ニュースダイエット」ロルフ・ドベリ(著)は世の中に氾濫するニュースがいかに人の思考力、集中力、意志決定力を奪い、悪影響を及ぼしているのか論じたものです。本書を読むことで無意識に摂取しているニュースの悪影響を知り、これまでとは違ったニュースとの付き合い方が取れるようになるでしょう。
目次(Contents)
ニュースは人から集中力、注意力を奪う存在。ニュース中毒から脱却せよ。
なぜ私たちはニュースを避けるべきなのでしょうか。それは、ニュースそれ自体が持つ依存性と中毒性にあります。
ニュースはそれ自体が人間にとって超常刺激です。超常刺激とは、古来人が自然の中で暮らした頃にはなかった類の脳を強く刺激するもので、脳を必要以上に興奮させ消耗させます。人は本質的に未知への情報に強く反応するようになっていて、ニュースのような情報刺激に人は報酬と期待のホルモンであるドーパミンを刺激され、もっと、もっと、と休まることなくニュースを追い求めるようになります。
ニュースは人の持つネガティブ感情を刺激します。私たち人間は本来的にネガティビティバイアスという怒りや不安、心配といった負の感情を煽り立てるような情報に敏感です。それが自分とは全く関係のない出来事であったとしても、ショッキングでセンセーショナルな報道は人の注意を引きつけます。ネットニュースのコメント欄などは人の持つ最も醜い感情の巣窟となっており、それらを目にしただけでも脳はストレスを感じて消耗していきます。
本質的にニュースはそれ自体の内容の質よりも、いかに人々から注目を集めるかに重点を置いています。それはニュースが人々から注目を詰めることでアクセス数を稼ぎ、それを広告主などの利益につなげているからです。
そのため、報道される大多数のニュースは自分の人生となんら関係のない、意味を持たないものであるにも関わらず、ニュースは私たちから注意力や集中力、意思決定力などのリソースを大量に奪っていきます。自分ではどうにもならないことに怒りや悲しみ、許せないといった感情を覚えたり、いたずらに不安や恐怖を煽られて心配性になったり、劣等感や偏見を育みます。
アクセス至上主義であるかぎりニュースの質は上がらない
ニュースは人々から注目を集め、注意力や思考力を人々から奪うことで広告主の利益につなげています。これがニュースメディアが持つ最大の欺瞞であり、真実追求などいかにもな大義名分を掲げていたとしても、結局は本来その人にとって必要でない情報をあたかも大事件で重要であるかのように見せつけ注目を集めている点で質の良いニュースが生まれることは稀です。
質の良いニュースとは専門的で世界の見え方や解釈の仕方・思考を拡大する類のものですが、そういった情報は専門家の長文記事や書籍の中で見つけるしかなく、小難しくとっつきにくいため多くの読者を引きつけることはできません。テレビやネットニュースの利益につながるのはゴシップや事実の過程や因果関係が大幅に省略されてしまった報道で、そういった短く簡潔に加工された思考力を必要としないニュース記事では本当の意味で事実を理解し視野を広げるといったことは不可能です。
ですが、簡潔で質の悪いニュースほど人の脳にとって簡単に消費でき、人々にわかった気分にさせてドーパミンの「もっと」という欲求を刺激して次のニュース消費行動へと促します。
砂糖やゲーム、SNSなどの依存・中毒は誰もが悪だと認識できるところですが、ニュースの最も悪質なところは、ニュースはそれ自体が美徳とされている点です。事実ニュースはかなりの悪影響を人々に与えているのですが、ニュースの消費はそれ自体が悪く思われないため、解りやすい依存性の娯楽よりも一層タチが悪いと言えます。
自分の能力の輪を超えた範囲のニュースを知ったところで私たちにはどうすることもできない。それが無力感を生む。
多くのニュースは自分の人生の本質とはなんら関係のない、自分ではコントロールできない事件を扱っています。これが人に無力感を与えます。
国や政治がどうしようもなくとも、誰かが悲惨な事件に巻き込まれたとしても、殺人犯の生い立ちや心理を知っていたとしても、自分でそれらの問題や事件を防ぐことはできませんし、今現在報じられているニュースの根本的な解決には至りません。自分の能力、コントロールの範囲外にあるニュースを知ったからといって、自分にできることなどないし、もしできたとしてもごくわずかでしかありません。できるのはただ感情を刺激され、無駄に意見を持つことのみです。こうして人は自分と無関係な物事に精神的エネルギーを奪われていき、自分の本来するべきことへの注意がおろそかになっていきます。
投資家のウォーレン・バフェットは自分の能力の輪の内側に集中して生きることの大切さを説いています。自分の専門分野、得意で能力がある分野、コントロールできる今現在の生活の充実に意識や注意を向けるべきで、自分の人生にとって直接関係しないニュース情報に貴重な精神リソースを奪われてる場合ではありません。
まとめ ニュースの消費、それ自体が依存・中毒性を持つ娯楽である。自分にとってどうでもいい情報を見極め、自分の人生に有益となる情報に意識を向けよう。
私が本書を読んで一番印象に残ったことは、ニュースの消費それ自体が依存・中毒性を持つ娯楽なのだ、ということです。何かを知り感情を動かされ、意見を持ち、何かをわかった気になる…この行為自体に中毒性があって人を夢中にさせます。ニュースを消費する行為は徐々に人のエネルギーを奪っていき、その人にとって本当に必要な行動への注意力や集中力を無くしていきます。
ニュースの消費それ自体は社会で歓迎される行為であり、その行為自体に疑問を持つ人は少ないでしょう。あたかもニュースを消化することは自分にとって生産的で必要なことであると錯覚しがちです。「ニュースを摂取する」その行為に問題提起を起こした本書はまさに私の世界の見え方や視野を広げてくれた一冊です。
最近どこか集中力や脳が疲れていると感じている人は本書を読んで自分が普段から接しているニュースや情報を見つめ直すのもいいかもしれません。