人は心から老いていく「ハーバード大学教授が語る「老いに負けない生き方」」レビュー

人は心から老いていく「ハーバード大学教授が語る「老いに負けない生き方」」レビュー

人はいつから老いるのだろう?確かに加齢に伴って肉体的に老化は進むのが自然の摂理である。しかし、それに伴う幸福感の度合いは人によって大きく違うと思う。

こと日本では社会や人々の無意識にエイジズム(年齢によって人を判断し、差別する偏見、ステレオタイプ)が蔓延っており、メディアでは強迫観念に取り憑かれたかのように必ず名前の後ろに()で年齢を表記することが義務のようになっている。「同世代」や「先輩」・「後輩」という言葉が過剰な意味を持つ日本においては同じ属性、同じグループ、近しい年齢の人たちで群れる傾向は保育園、幼稚園の学年の概念から大人になって社会に出てからも続く。初対面の会話で年齢のことを聞いたり、常にどこかで自分の年齢を気にしている人が多いと感じている。

本来人それぞれの生き方があり、その人個人としてみればいつ何をしてもいいはずだ。例えば大学はいくつになっても通って良いはずであるが、「浪人」という言葉があるように遅れて大学に入った人を差別する言葉や社会参加の大事な一歩となる「新卒一括採用」という暗に若さを求める世界的に見ても奇異な習慣が当たり前のように受け入れられていて、社会的なレール(枠組み・仕組み)と年齢がセットになっている。日本ではこの年齢までにこうしておけorこうするべきとか、未経験の転職は何歳まで〜のような暗黙なルールが存在していることをとても強く感じる。

本書「ハーバード大学教授が語る「老いに負けない生き方」」はハーバード大学心理学教授のエレン・ランガーが人々が生きては避けられない「老化現象」と「メンタルの持ち方」がどう影響するのかを研究し論じた一冊だ。特に高齢者を対象とした心の時間の針を戻すカウンタークロックワイズ研究の紹介が肝であり、とても重要な示唆を得られると思う。

本書を読むと人間がいかに気持ちの面から老いてしまうのか痛感するし、気持ちの面で自分はもう歳をとったと思うことが行動やチャレンジを無くし、実際に心身ともに老いてしまうことの危険性が理解できる。

心の時計の針を戻す研究、カウンタークロックワイズ研究とは

本書で取り上げられている心の時計の針を戻す研究(カウンタークロックワイズ)とは、高齢者を対象に自分の老いを連想させるあらゆる情報を排除した環境に過ごしてもらうことでどのような変化が起こるのかに注目した研究だ。

具体的には、20歳若返ったと設定するなら、その20年前当時の雑誌や広告ポスター、テクノロジーレベルで生活しなくてはならず、会話も当時の事件のことをあたかも先日起こったかのように会話する必要がある。今ある便利なものでも当時無かったのなら排除して、もし介護に頼っていたような人でもサポートは得られず身の回りのことは全て自分で解決していく。

本研究は当時の環境と状況を可能な限り完璧に再現して、あたかも自分が過去に本当にタイムマシンで帰ったかのような擬似環境を作り上げ、心も若返ったように振る舞うことで身体にどのような変化があるのかに着目したのだ。

そして本研究の結果はどうだったかというと…
心を若く保つことで実際に身体にも若返りの変化が見られたという。

これは心の持ちよう、思い込みが実際に身体に変化にも影響を与えることを示唆する重要な結果だと思う。

「気の持ちよう」や「なんとなく受け入れている常識や社会規範」、「思い込み」は実際に体に変化を起こすほど影響を与えているのだ。

人生のペースは人それぞれでいい。

私は高校を中退し10代半ばで普通のレールから外れざるを得なかったから、レールを外れたことによる「遅れ」の生きづらさを日本社会で痛いほど経験している。

「人間の価値を第一と考え、人間が最高で人間性こそ尊重すべきものだ」とするヒューマニズム的観点からすると、年齢によって型にはめてあなたはこうするべき、こう振る舞うべき、年長or年少だから〜とか、〇〇歳代のうちに〜という価値判断はあまりにも未熟で思考停止した考え方だ。人それぞれ生まれも育ちも異なり、多様性の集まりである。人は本来幾つになっても学び続け、挑戦して、成長していくことができる。

頑なに年齢を重要な要素とみなし名前とともに併記する日本のメディアの何が良くないかというと、それが比較思考を生み、劣等感の元になってしまうからだと私は考えている。年齢という数字が示されるだけで人は無意識に自分と比較し、それが劣等感や優越感などをうむ。そしてそれは不安や焦りを呼び起こす。もうこの年齢なのに何も達成できていない、大人としてある程度の年齢になったのに大人として振舞えていない自分に自己嫌悪する。根本には不安があり、若くして成功するのが唯一の成功ルートでそれが達成できない自分は劣っているという一種の完璧主義と理想の罠に陥ってしまう。

本来人間とは、自分は自分であり人と比較することは無意味なものだ。年齢という数字基準が与えられただけで自分は人よりも遅れているとか、劣等感を生み出し、それが行動を停止させて人生の停滞をもたらしていく。

なぜ日本に若者や中高年の自殺が多いのかというと、それは絶望から来ているのだと思う。レールから外れたらもう取り戻せないとか、自分はもう中年になったから〜とか、この歳だから〜とか年齢を言い訳にして、挑戦や行動を諦めてしまう人がとても多い。その一つに社会参加という人が生きる上で重要な居場所づくりとなる就職システムがエイジズムに染まっているからで、新卒一括採用やら年功序列やら中途採用やら、そうした年齢をベースに価値判断する日本社会の歪みと危険性が見えてくる。何歳になっても自分には可能性があり、希望があると思えば人は自殺しないだろう。

老いとは「劣化」ではなく「変化」である。

私が本書を読んで最も気づきを得た点は、自分の無自覚に受け入れている常識、信念、思い込みが実際に体に変化を与えるほど強力だということだ。私たちは受け取る情報や身近な人の影響を強く受ける。だからこそ普段から接する情報の質には注意を払う必要がある。

そう考えると日本のメディアや企業(マーケティング)は極めて有害でネガティブな影響力を与えていると思う。日本でも近年個人の性的趣向や価値観の多様性への啓発が進んでいるが、ことエイジズムに関してはからきしダメだ。新聞やテレビ、ニュースでの年齢表記、社会参加の一歩となる履歴書に年齢を書くことが必須であり、それほど当たり前に、暗黙の常識として社会システムの一部となるぐらいエイジズムが日本では無意識に受け入れられてしまっている。特にスポーツ分野なんかでは最年少での偉業達成があたかも最も素晴らしい価値であるかのように報道されて、本来は何年取り組んだとかどのような練習を積み重ねて来たのかの方が大事なのに、いかに若くして偉業を達成するかに強迫的になっている感じがする(特にオリンピック実況がひたすら選手の年齢を連呼しているさまは聞くに耐えないものであった。)。そうなると一生懸命努力している人でも成功するには生まれながらの才能が必要とか、幼少期の環境が大事になるから親ガチャとか家庭環境の運不運とかの比較という不毛な考えにつながってしまうのではないか。

マーケティングなども人の好みは多種多様であり人それぞれ変化していくのに年齢で区切って単純化してなんの効果があるのだろうか。顧客分析のためのペルソナを設定すること自体がステレオタイプを増長している。動画配信サービス最大手のNetflixのおすすめで出てくるコンテンツは性別や年齢は行動分析の対象外となっている。これは実際に年齢や性別が意味をなさない気づきが莫大なデータから得られたからであり、これが意味することはつまるところ、人それぞれ人間は多様であり、価値観も人それぞれであるということだ。

「老いること」は「劣化」ではなく「変化」である。肉体的にできなくなることがあったとしても、やり方を変化させて今の自分に合ったやり方で対応していけばいい。「衰え」といったネガティブな要素に着目するのではなく、経験を積んだことで見えて来たこと、自分の過去と比べて成長した点、できるようになったことに注目することが大事だ。未来を変えるのは今この瞬間の自分自身であり、今の行動が未来を形作る。

年齢という思い込みやしがらみから解き放たれ、自分の可能性を信じること。自分の成長や学び、変化を楽しむことこそが人生の充実感や幸福につながると私は思う。

参考・出典

・ハーバード大学教授が語る「老い」に負けない生き方 エレン・ランガー (著) 桜田 直美 (翻訳) ‎アスペクト (2011/2/25)
・Counterclockwise: A Proven Way to Think Yourself Younger and Healthier (English Edition) Ellen Langer (著)
Netflixのレコメンドは行動を分析 性別や年齢は対象外

 
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