仕事や学業に追われる現代人。未来の心配や不安、過去の失敗の反芻思考などに悩まされる人も多いのではないでしょうか。テクノロジーの進歩で豊かになった反面、多くの人が常に何かをしていなくてはいられない病にかかっており、「何もしないこと」があたかも無駄で罪悪感を感じることであるかのように思いこんでいます。
本書で述べられているマインドフルネスストレス低減法(MBSR)は今現在の存在や体験に注意を集中することで、心の平穏さや強いリラックス感を得て、全てをあるがままに受け入れて人生の問題を前向きに解決するための力強い方法です。
常に何かをしなくてはいけない強迫観念、駆り立てるような、追い立てられるような焦燥や不安感に悩まされている人には特に効果的です。神経質で気が散りやすく、物事に敏感な人、考えすぎて思い悩む人は実践する価値が十二分にあります。
本書を読んで実践した中で学んだことや気づいたことを自分なりにまとめてみました。
目次(Contents)
マインドフルネス瞑想で注意集中力を養う。自己をメタ認知して自分の存在自体に注意を向け続けることに集中する。
マインドフルネスとは、今ここでの経験を評価や判断を加えることなく能動的に注意を向けつづけることです。私たちは外からの刺激や情報に対し、感情を持ち、判断を常に下しています。同じ体験でも違った見方をする人がいるように、人それぞれ「自己」というフィルターを通して体験に意味付けし、価値や判断をすることで感情を生み出し、それに対して不安や心配、好悪善悪の感情を持つわけです。逆に言えば、人それぞれが持っている世界を解釈する「自己」があるからこそ執着や劣等感、怒りや不安なども発生しているわけですね。
マインドフルネスの実践にあたってはこうした「自己」が生み出す思考や判断を極限まで薄めていきます。デカルトの「我思うゆえに我あり」(世界の全ての存在を疑っても、思考する自己の存在は否定できない)のように、思考し判断を下している自己から一歩引いた、その思考の発信源である自己を生み出している自分という存在自体に注意関心を払い続けることが重要です。
主に姿勢を正し体の部位や呼吸に注意を向き続ける瞑想を行うことでマインドフルネスを実践していくわけですが、多くの雑念や思考が生まれてくるはずです。
「こんなことをしている場合ではない」
「なんて退屈なんだ、時間が勿体無い」
「ああ、あの時のあの場面でなんてことをしてしまったんだ…」
こうした湧き出た思考を否定せず、価値判断しないことが何よりも重要です。こうした湧き出た思考に注意が囚われていることを認識し、注意を呼吸や体の部位など集中したいところに戻す、この繰り返しで注意集中力が鍛えられていきます。長期間の瞑想で脳自体が変化し、理性や計画を司る前頭葉が実際に大きくなったり、集中力の向上や精神の安定などの計り知れない効果が得られます。自分の注意したい対象へ能動的に注意を向け続けるわけですから、実際にやってみるとかなり大変ですし、瞑想が心(脳)の筋トレだと言われるのも納得です。
もともとマインドフルネスは慢性痛への治療として東洋哲学や禅の思想が西洋に輸入され解釈実践されて来た経緯があります。注意集中力を鍛えることで痛み・悩み・障害それ自体を無くそうとするのではなく、あるがままに受け入れて共に生きていく(自分の内面や注意の向け方を変えることで痛みが気にならなくなって行く)ことを目指しているものだと思います。
人が持つ癒しの力。全体性、繋がりへの気づき。効果を最大限得たいのであれば、意味や効果は求めずただ実践するのみ。
「するべきこと」に常に追われている人にとって、「なにもしないこと」を実践するマインドフルネス瞑想はシンプルであるがゆえにとても退屈で意味のないものと思われるかもしれません。しかし、瞑想を続けて思考や判断を排除し、ただ自己の存在自体に注意を向け続ける(あるがままに今という瞬間に在り続ける)ことで、とてもリラックスして落ち着いた状態、時間すらも忘れる感覚があり、それが瞑想を終えた後にとても心地よい癒しとして感じられます。これは瞑想を実践すること以外で得ることができない強烈な感覚だと個人的に思います。
瞑想を実践して心を鎮めて行く中で、せかせかとマルチタスクに思考や情報処理判断に忙殺されている状態がなんとストレスフルで、ピリピリとさせ人間関係を悪化させていたのかについての気づきが得られます。駆り立てられるように「ずっと何かをし続ける」ことがどれだけ人を疲弊させ、無駄を生んでいるのか。無駄な時間だと思っていた「なにもしない」時間を挟むことでかえってパフォーマンスが高まり1日の生産性も高まっていることも感じられるでしょう。
考えてみれば私たちは毎日睡眠することで誰もが癒しの効果を得ています。瞑想は私たち人間が生まれながらに持つ自己治癒能力へ能動的にアクセスするための鍵だと思います。
まとめ 全てを受け入れあるがままにある状態、それ自体が持つ癒しの力
実践する中でいちばんの障害となるのが自分の思考、そして瞑想の効果を求める邪念です。ただ黙々と、淡々と、効果が出なくてもいいから毎日継続して「呼吸に集中する何もしない時間」を意図的に設けることができるかどうかが本書の内容を実践し感じ取るために重要なポイントです。
10代の頃、私は強迫神経症に悩まされ、結果として高校も中退することになり、心理学の興味が開き色々と学んできました。その過程で「あるがまま」の状態を理想とする森田療法などとの出会いもありましたが、本書で解説されている西洋のマインドフルネス瞑想のほうがわかりやすく実践しやすいと感じています。後悔も失敗も悔恨も不安も全てをあるがままに受け入れて自分の中に包摂していくことで精神が非常に安定し、視野が開けていきます。(痛みや障害トラブル自体は存在するものの、抵抗したり排斥するのではなく、存在を許し受け入れ共生していくことでこれまで見えなかった良い問題解決、アイデアが浮かんでくる感じ)
マインドフルネスに関するあらゆる文献が出版されていますが、本書がいちばん平易な言葉でわかりやすく記述されています。実践するための具体的方法も詳しいですし、なぜ瞑想が、「なにもしないあるがままにある状態」が人に癒しをもたらしているのかの示唆に富む気づきが得られます。
愚直に本書の内容を実践する中で、「ただ存在すること」に注意を向け、観察し続けるだけでこんなにも気持ちよくてリラックスして、心身の回復感があるものなのか、と実感することができるでしょう。
非科学的な記述になってしまいますが、「自己」という思考が作り出した概念から脱却し、その思考の発生源である生命エネルギーの源である「わたしという存在」に気づくことで、「広大な宇宙のなかの一つの生命体としてあるわたしという存在」、「時間という概念も超越した老化したり衰えたりすることがないエネルギー(生命力、意識)を生み出している存在」が今という瞬間に存在している奇跡的で神秘的な事実に気づき、畏怖の感情を持つことで大きく視野が開けて、エネルギーが湧いてくる感覚があります。(自分で感じ取る感覚的なものなので論理的に言葉で説明するのが難しい感覚です)
何より自分の意識がどこに注意を向けているのか?に気づき、注意や集中を向けている対象を把握して注意が逸れたら集中したい対象に戻すという注意力の筋トレは集中力や生産性を高める上で非常に大きな力を養うものであると感じています。
癒しの方法として不安症や心配性、神経質に悩まされている人にとっては大きく有益な内容であり、仕事や学業スポーツ分野においても大きく役立つ注意集中力を鍛える方法としても本書の内容は有意義です。巷に溢れるマインドフルネス本の原点とも言える本書、一度は読んでみる価値が強くあります。