【書評と考察】「石膏デッサンの100年 石膏像から学ぶ美術教育史」荒木 慎也 (著) 世界でも特異な日本の石膏デッサン、美術教育のあり方が分かる。

【書評と考察】「石膏デッサンの100年 石膏像から学ぶ美術教育史」荒木 慎也 (著) 世界でも特異な日本の石膏デッサン、美術教育のあり方が分かる。
日本でデッサンを学んで行くといつか必ず直面するのが石膏デッサンです。日本では美大受験と行ったら石膏デッサンという印象で、今は受験に使われることは少なくなったとは言え、一部の美術予備校では基礎的な画力を身に付けるためにまだ続けられていると言います。私はアメリカ留学したときにアートのクラスを専攻したので、日本の美大は行っていませんが、個人的にデッサンは継続していて、なんで日本では石膏をモチーフに延々とデッサンをする伝統があるのか?なぜ日本の美大では絵を学ばず、自由制作放任主義になるのかずっと疑問に思っていました。本書は日本の美術教育を石膏デッサンという観点から捉え直し、世界でもユニークな状況になった日本の美術教育について考えさせられる内容で、様々な疑問が解決する良著でした。

石膏像の役割について 美術の模範と帝国主義


本書では前半に石膏デッサンがなぜ生まれ、日本に根付いたのかの詳細がまとめられています。これをここまで体系的にまとめた文献は見たことが無いのでとても興味深い内容でした。

・石膏像は古代ギリシャ・ローマ美術を至高の存在として見ることが前提にあった。
・石膏像は複製しやすいのが特徴で、視覚教材としての役割があった。もちろん大理石の本物とは比べものにならないが、それでも複製された石膏像は古代ギリシャ・ローマの彫刻作品が持つ美の規範を三次元で立体的に伝える重要な役割を担っていた。
・帝国主義で領土が広がった時代、石膏像は古代ギリシャ・ローマを共通の美の規範であるとする思想の元、世界各地にもたらされた。

つまり、西洋文化の美の規範として古代ギリシャ・ローマ、ルネッサンス期の作品が定められ、それらを帝国主義の元、世界展開させていった背景がありました。例えばナポレオンは新古典主義の思想のもと、美術を使って視覚的に古典古代にルーツを求めることで自らの権威付けをしていました。

石膏像は西洋文化の美の唯一無二の規範を示す視覚教材として世界中に広まっていったのです。

ヨーロッパと北米で石膏像が廃れた経緯


しかし、時代が進み個人の内面や感情が重視されるようになると徐々に石膏像は役割を失っていきました。

美術資料としての価値は写真に撮って変わられ、個人のスタイルこそが芸術としての価値を持つのだ、とする気運(モダニズム)が高まり、古代ギリシャ・ローマの美術が唯一無二の美の規範とも考えられなくなったのです。

そしてアカデミックであることは古くさく保守的なものであり、石膏像を初めとする古典美の鍛錬は視覚の統制であり、旧制度を象徴するものとして多くの石膏像が破棄・破壊されていきました

オリジナリティや個人の独創性を重視する世の中の流れの中で、複製品(コピー)である石膏像は旧制度の象徴という意味も含め、2重の意味で破壊されるものとされたようです。

つまり、ヨーロッパやアメリカでは帝国主義やモダニズム、政治思想などの流れがあって古典を否定する流れとなり、現代アートに繋がっていったといえます。それに比べて日本の石膏像の導入とあり方はとても異質でした。

日本の石膏デッサンの始まり

黒田清輝  石膏像のデッサン (1887)
黒田清輝 石膏像のデッサン (1887)

日本の石膏デッサンは古くは明治時代の工部美術学校に始まり、西洋の伝統的なお手本素描の模写と写実を是とする教育が行われていました。しかし工部美術学校は直ぐに廃校。そこで用いた石膏像も散逸してしまったそうです。

その後東京美術学校にて石膏像の教育が行われるようになり、大量の石膏像が輸入されます。フランスに留学した西洋画家達が帰国すると本格的に日本にデッサンの概念が輸入され、石膏像をモチーフにする石膏デッサンも根付いていきます。

しかし、この段階で西洋のアカデミズムからの脱却が試みられます。日本の美術教育に大きな影響を与えた黒田清輝は石膏デッサンを、石膏像を見たままに自由に描くことを奨め、西洋の伝統的なお手本の模写をする過程を省きました。お手本の模写では独創性が潰れてしまうから、描く人の見た感性のままに石膏像を捉え、画面に描き出すようにしたといいます。

石膏を使ったのは白一色で明暗が捉えやすいからで在り、西洋の新古典主義にあるような対象が優れた美的価値を持つから模倣によってその美を追体験するといった思想ではなく、単に技法的な要請で石膏像が導入されたのです。

ヨーロッパやアメリカでは石膏像の破棄の流れがありましたが、日本で石膏像輸入の動きになりました。

デッサンという概念が日本に浸透し、独自の発達をとげる。

元々日本にはデッサンという概念がありませんでしたが、西洋画を導入する過程で徐々に浸透していきます。

面白いのが西洋のデッサンを日本の在来美術を結び付ける形で導入されたこと。日本に古来からある美術家の「」に注目し、ミケランジェロやダウィンチに比肩する存在として自分達を置きました。素描の持つ線の美しさ、西洋のデッサンの持つ線の形状、かたち、動き、勢いなどは日本人の古来からある美術家にも含まれる要素であるとしました。つまり西洋と日本をデッサンという概念を使って同等に扱おうとしたのです。

日本ではデッサンという概念があたかも芸術の本質的価値、能力を示す概念として昇華されていきました。デッサンこそが美術の本質であり、石膏デッサンをしっかり学ぶことが美術家にとって個性を発揮するための基礎力であるかのような、本来石膏デッサンを批判する立場のモダニズムの文脈に日本のデッサンは組み込まれていきました。石膏像を美の規範とするアカデミズムと個人の表現を重視するモダニズムの奇妙な混淆が日本に起こったのです。

石膏デッサンとモダニズムを両立させようとした日本

西洋ではモダニズムの台頭により石膏デッサンは否定されましたが、日本では石膏デッサンとモダニズムが両立して存在することになりました。長い間美大受験で石膏デッサンが求められ、美大のカリキュラムにも石膏デッサンが組み込まれていました。

東京美術学校は東京音楽学校と統合され東京藝術大学になりますが、自由放任で絵の技術を教えなくなった今では考えられない事に、カリキュラムの中に伝統的な絵画技術を学ぶものとして石膏デッサンが根強く残っていたのです。

黒田清輝に始まり、小磯良平らが石膏デッサン教育を伝統的に行っていましたが、やがて世界のアートの流れと美術学校のカリキュラムの齟齬、矛盾や学生たちの反発に悩むようになります。

美大予備校産業の生み出す受験対策用に規格化されたデッサンを嫌う芸大は、受験にマイナーで誰にも知られていない石膏を出題したりもしました。日本に世界でもあまり有名ではない作品の石膏像が使われたり残っているのは美大受験システムと大きく関係があったのです。

美術大学と美大受験予備校


描く人の自由な表現を求めた黒田清輝の石膏デッサン教育は結局は規格化され、画一的なものとなり、美大予備校という産業が拡大して石膏デッサンは日本独自の発達をすることになりました。

かつては美大の教官が美大予備校の講師を務め、大学まで一貫した教育を行っていましたが、東京藝術大学になり公務員化した教官たちは副業ができず、大学と美大予備校の分裂は大きくなりました。

美大のカリキュラムは世界の美術シーンの流れに合わせ、伝統的な石膏デッサンや絵画技法を扱うカリキュラムを放棄し、入学時にはすでに基本的な技術は身についた一人のアーティストとして、画家を育てる学校という場から、放任による自主制作の場へと変化しました。

そのような流れで美大合格のための受験デッサンという分野が台頭してきます。この特徴はとにかく芸大入試に受かることに特化したもので、ミリ単位での細かく正確な形を描写することに特化し、画面構成の美しさなど、本来デッサンが果たす明確な光影の設定から形を表現することよりも見た目の画面がいかに芸大入試を突破するかに重きを置いたものです。浪人を重ねるほど見なくても石膏像が描けるようになり、こうした画一的に入試に特化したデッサンは「デッサンのデッサン」であるとする批判も生まれました。

美術予備校独自のスタイルも生み出され、例えば新宿美術学院の白を基調とした石膏デッサンは新美調のデッサンと呼ばれ、19世紀末にフランスで学んだ安井曾太郎のデッサンの影響を受けて堂々とした画面から飛び出すような構図の石膏デッサンが生まれたりしました。

石膏デッサンの出題がなくなりつつある現在においても美術予備校では石膏デッサンの洗礼を受けた講師と生徒との美術の共通文法を養う目的で石膏デッサンを取り入れています。

考察とまとめ 美大と石膏デッサンから日本の美術教育の特異点が見えてくる

前半は石膏像の導入、後半は日本に特有の受験というシステムから日本の美術教育について見えてくる一冊です。もともと博士論文らしく、本書の最後に著者は自身のことを過度に謙遜しているけれど、着眼点はとても良いから著者にはもっと自信を持って欲しいと思います。

本書を読むとデッサンって何だろう?と考えます。例えばソーシャルゲームの現場ではイラストのやりとりが多くなるわけだけど、デッサンが乱れているという言葉を頻繁に聞きます。この場合のデッサンって要するに姿形がしっかり取れていて、解剖学的にも正しく構成された絵を描く力のことですが、本書で扱われる石膏像のデッサンは日本の教育や受験と結びついた観点から述べられていて面白い。日本人って剣道や武道といった「道」が好きだけど、石膏デッサンもそうした「道」の精神と結びつけて考えられたのかもしれません。

中盤以降は受験に関してのトピックが多くなりますが、これはそれほど日本の受験というシステムが石膏デッサンに影響を与えているということでしょう。個人的には受験デッサンみたいな紙が黒くなるまで超長時間書き込んだスタイルが良いとは思えないし、デッサンの本質(立体的な造形を見る人に伝える)から外れているものだと考えていたけれど、本書を読んでやはり受験突破に特化したスタイルであることを確信しました。つまり受験デッサンは絵の本質とは関係がないし、絵のうまさの指標とするのはちょっと違うということです。

絵が上手くなりたいという実用的な観点では以前紹介した「絵はすぐに上手くならない デッサン・トレーニングの思考法」という本がとても読み応えがありましたが、本書は美術教育の観点から色んな知見を得られる本です。特にデッサンと向き合う人にとっては、世界でもユニークな受験と結びついた日本の石膏デッサンについての全体像が理解できるこれまでにない一冊です。

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