どんなに名著で素晴らしいアイデア、実践知でも伝わらなければ意味が無いと感じた本。今回紹介する「反脆弱性」は上・下巻併せて800ページを超えるナシーム・ニコラス・タレブの著書です。タレブは「ブラック・スワン ― 不確実性とリスクの本質」の著者で有名です。ブラックスワンとは重大なリスク(変化)を伴う出来事は予想できず、起こったときの衝撃も大きいと言うこと(参考:ブラックスワン理論(Wikipedia))。ブラックスワンは、従来白鳥は白い鳥しかいないと思われていたところに黒い白鳥が発見されたことでこれまでの前提や概念が覆ってしまうことで、例えば金融危機や自然災害など絶対に起こらないと思っていた事象が発生した場合、その衝撃は大きく、予測が出来ないのに後付で理屈をつくりだす人の認知傾向を意味します。本書のテーマである反脆弱性とは脆弱性の反対の概念で、著者のタレブが作った造語です。脆弱の反対は頑健であると捉えがちですが、本書で言う反脆弱性は頑健とは違う概念であることが一貫して長々と主張されています。
反脆弱性とは?不確実でランダムな事象にしなやかに耐え、それを力にしていくこと。リスクをなくそう、避けよう、予測しようとするのではなく、リスクはあるものだと考え、それを力に変えて行く性質のこと。
本書のテーマで肝となる概念「反脆弱性」を自分なりに分かりやすくまとめてみます。
それは、ストレス、ランダム性、不確実、無秩序なもの、変化を受け入れ、そうした圧力を力にしてしなやかに対処していく性質のこと・・・だと私は解釈しました。
私たちが骨折や筋トレをした時、体は傷つきますが、再生したときに以前よりも強くなっています。反脆弱性とはこのようにストレスや圧力を力に変える性質のことです。
生きている限り、大きなストレスや変化はつきものです。むしろ、危険やリスクはあって当たり前の事なのに、誰もがその危険を避けようと予測しようとする。本書ではそうしたリスクや危険を予測し、回避しようとする人を痛烈に批判しています。金融業界で株取引に関わる人や頭でっかちの評論家や経済学者に留まらず、ソクラテスや広く学問一般、科学ですら彼の批判の対象になっています。
特にタレブは本書の中でデータ主義、数字主義に陥る科学者やアナリストを痛烈に批判しており、そうしたデータやAI至上主義になればなるほどブラックスワン的な事態は避けられないとします(タレブはそうした学者達の「予測できない事を予測できる」という態度に嫌悪感を抱いているように感じます。)。
著者タレブの批判する科学や学問は、私たちの経験や法則に当てはめて未来や事物を予測出来ることを前提としています。タレブは私たちは大きなリスクや危険、確率が非常に少ない事象を予測する事は出来ず、回避できない種類のものとし、例として日本の福島原発の事故も挙げています。
私たちが生きて行く上でリスクを避けようともがく試みは脆さに繋がります。私たちは想定するリスクや危険に備えようとして頑健さを高めようと必死に世間一般で良いとされている安全策や仕事に飛びつこうと用心しますが、予測も付かない大きな事態であるブラックスワンのような急激な変化には対応できません。
タレブはストレスやリスク、変化や圧力をバネにして向上していく反脆弱性を身に付けるべきで、それこそが今これからを生きる私たちにとって必要な力であると本書で主張しています。安定を維持しようと頑なになるのではなく、変化対応力を高めましょう、ということですね。
反脆弱性を身に付けるにはどうすればいいのか?脆弱性と反脆弱性を分けるポイントについて。
本書のテーマである反脆弱性について考えた事、解釈したことをまとめてみました。
・リスクを避けるのでは無く、リスクはあるもの、常に内在する物として考え行動していく。リスクを予測するのでは無く、あるものとして考え行動していく。
・大企業に新卒で入った人は、一見すると安定して安泰に見えるが、実は変化と不安の波にもまれている職人やフリーランスの職種の人達に比べてとても脆い。
・完璧主義は脆い。完璧を目指すと一つの欠点や欠陥が見つかっただけで折れてしまう。
・ストレスがない状況は人を脆くする。社会参加が長期間出来なかった人が、いきなり仕事に復帰しようとする時は大きなストレスがかかる(=脆くなっている)。休み明けの緊張感もストレスが無かった状態があったから発生している(ストレスが無かったことが脆さを生んでいる)。
・嫌われないように自分を抑えるのではなく、人からどう思われようとも自分の信じた道を行くこと。→批判への耐性を身につける事が反脆弱性になる。
・批判や悪口を恐れて、良い人として振る舞うことは脆いこと。誰からも好かれようとするのでは無く、多くの人に嫌われても少数の熱心なファンが出来た方が強い。批判を受け入れ、悪口を言われても良いから自分の思ったことを発信することが反脆弱性を育む。
・安定を求めて有名大学や企業にこだわるよりも、職人など何か一つの技術を身に付けてどんな環境に置かれても対応できる変化力が反脆弱性に繋がる。
・あまりにも潔癖、清潔な環境に身を置くとかえってアレルギー体質になる。牧畜農家の子供はアレルギーになりにくく、幼少時に動物と触れ合うとアレルギーを発症しにくいという研究結果がある(衛生仮説)。
・数字やデータ、エビデンスに縛られすぎてはいけない。未来は予測できないし、現実はそう単純に説明し尽くせるものではない。統計やデータが蓄積されればされるほどブラックスワンには対応できなくなる。
・誰かの失敗によって、誰かが成功する。成功した人は他者の失敗の知識の上に成り立っている。誰かの失敗例から学ぶ。個人としての失敗は全体としては利益になっている(誰かがフグを食べて毒死しなかったらフグに毒がある事も分からず、今の私たちが安全に食べることは出来なかった)。
・普段から変化によってもたらされるストレスやデメリットと、得られるメリットを意識する。一時的に大きなストレスとなっても、長期的に見て大きなメリットをもたらす事に取り組んでみる。具体的にはスキルを身に付けるための学び直しなど。学ぶ事は一時的なストレスだけれど、長期的にメリットがある。小さな試行錯誤、失敗を積み重ねて大きな利益を得ること。何かに挑戦したり、最初の一歩を踏み出すことが大事。
・自分とは違う「異質さ」を受け入れる。自分とは違う価値観を持った人から自分にはない観点や価値観を学ぶ。色んな人と交流する。
・世の中には確実なことなど何一つないので、どのような変化が起こっても良いようにしなやかで柔軟に対処していく強さを身につける事。心理学で言う心の回復力(レジリエンス)を高める事が重要。
書評・まとめ もっと短くコンパクトにまとめて欲しかった。
上下二冊800ページもある本著。著者タレブの考案した反脆弱性をあらゆる事象に当てはめて説明しているため、とにかく冗長で、本書の大部分は多くの世間一般の当然とされてきた価値観を痛烈に批判することに費やされています。
哲学的論考が好きで、抽象的な概念をこねくり回すのが好きな人には大きな知的興奮を得られる本でしょうが、この長い論説を読破した先に何が学べるのか?を考えてみると、800ページもの分量は長過ぎです。文章が長すぎて論点が散漫に感じ、一体この人は何を言いたいのだろう?と感じる事も多々ありました。もっとシンプルに出来ると思うし、せっかくの良いアイデアや考察も分かりやすく人に伝わらなければ意味が無いと感じた読後感でした。
総じて、人は危険や不安、悪評やリスク、変化を恐れる生き物ですが、そうした事象を受け入れ、耐性を付けることが本書の言う反脆弱性になります。不安定の中にこそ真の安定がある、不安の波にもまれていくその先に安心が見つかる・・・といったことでしょうか。
本書は中古でもなかなか値下がりせず、評価されている本だとは思いますが、個人的には800ページもある本書よりも組織心理学者アダム・グラントの「ORIGINALS」や「GIVE&TAKE」の方がよほど面白く、使える実践知が学べました。本書で言うオプション、つまり選択肢や可能性を広げる事の重要性はこれまでの人生経験からも納得出来ますが、データ至上主義やエビデンス、数値主義を批判するのであれば、その代わりとなる具体的なアイデアをもっと分かりやすく提示して欲しかったです。
■反脆弱性[上][下] 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方 ナシーム・ニコラス・タレブ, 望月 衛他 2017/6/22
■洋書「Antifragile: Things that Gain from Disorder 」