人々の行動や心理的傾向は大古に刻まれた遺伝子(本能)に刻まれ、私たちの意志決定に大きな影響を及ぼしている。本書で扱われる進化心理学とは人間の本性を大古の人類が生存競争の中で育んできた脳と遺伝子の適応(進化)の過程から考察していくものです。
進化心理学の前提となるのが、全ての生物は自分の遺伝子を後世に残すように本能的に動機づけられているということで、これが男女の違いを生み、私たちの意志決定にも影響している事実です。
遺伝子を残すことは、要するに配偶者を見つけて子孫を残すことですから、本書の記述も男女の違い(性差)にフォーカスしたものとなっています。
目次(Contents)
人は生まれつき白紙ではなく、大古の時代から受け継がれてきた本能的な遺伝子からの影響を受けている。
人は白紙で生まれるのではなく、男女として生まれた時点で、ある程度本能として決まった傾向やパターンが存在します。人は社会環境によって性差が与えられるのではなく、生まれつき性差による傾向があって、その性差による傾向を標準化(平等化)しているのが教育であり、人間社会であるとします。
人類の長い歴史を紐解くと、現代文明が開化したのはほんのつい最近のことであり、本能として刻まれた自らの遺伝子を残す適応の傾向は未だに大古時代の人類のパターンに縛られています。
言い換えるならば、男ならモテるためにありとあらゆる努力をして社会的なステータスをあげること、女なら若さと美しさと対人折衝能力の高さが重視されるよう、生まれつき本能的な傾向があるということです。
標準社会科学モデルは人間だけを特別扱いして、他の動物とは違って、生まれつき白紙の書字版であり、社会や文化によってその人が形成されるとしますが、進化心理学では他の動物と人間を分けずに(同一として扱い)、人間も本能を組み込まれた動物の一種として考察の対象に入れています。
人の欲求は動物としての本能に大きく影響されている。それは、自分の遺伝子を後世に残すこと。
生まれつきの本能は男女の意志決定や行動の違いに大きな影響を及ぼしています。全ては自分の遺伝子を後世に残すためです。
男性の場合、スポーツで好成績を残したり、文化芸術分野で高度なレベルの作品を追求したり、研究室にこもって世界的な賞を目指したりするのも、突き詰めれば全て女性の気を引きたいからです。本書では男性のモテたいという欲求が形を変えて様々な文化を創り出している、としています。
女性の場合は繁殖可能であることを示す美と若さに価値があるため自分を美しく見せる事に強い関心を持ちます。美容品にお金を掛けることはもちろんですが、女性同士や男性の気を引く対人折衝能力の高さも適応に重要なのでコミュニケーション能力や共感能力が高いとされます。
本書では、このように公には堂々と言えない暗黙の了解とされる事柄を進化心理学という観点から徹底してメスを入れていきます。内容は刺激的ではありますが、現代の価値観や道徳観と比べて当然、引っかかりを感じる人も多いかと思います。
・生殖が可能であるかどうかを示す価値=繁殖価が女性では重視されるため妊娠可能性を示す見た目(若さの特徴)が重視される。
・雌が複数の雄と交配する種ほど雄の生殖器は大きい傾向がある。
・離婚したカップルの父親が母親ほど子育てに熱心ではないのは、その子供が本当に自分の遺伝子を受け継いだ子か分からないため。母親からすれば自分の子供は100%自分の遺伝子を受け継ぐ子供だと分かるから熱心に子育てする。
・家庭内の子殺しは継母、継父による事例がほとんど。
創造性にも進化心理学の観点を取り入れているが、引っかかる点が多い
全体的に本書は人間の生まれ持った本性を暴き出していく面白い内容なのですが、唯一引っかかったのが年齢と創造性の箇所についてです。
本書では独身の科学者と結婚した科学者の論文の生産数の比較を行い、どの分野でも男性は結婚すると「落ち着く」効果があり、生産性が年齢と共に低下していく事を創造性が年齢とともに低減していく傾向にあると記述しています。
つまり、多くの男性は一般的に結婚をする年齢以降になると創造性が低下すると本書では言っていますが、私はそうでは無いと思う。そう引っかかりを感じたのは、本書の言う創造性の定義がハッキリしないからです。本書では創造性という概念が多産的であることと、独創的で素晴らしい作品を作るのをごっちゃにしています。
確かに多くの作品を作る意欲=生産的である事は年齢と共に下降気味になる傾向はあるかもしれませんが、生産的であることと、独創的であることは違うと意識する必要があるでしょう。例えばクラシック音楽の世界では質で言えば晩年の作品の方が素晴らしい作曲家も多く居ます。ルネッサンス期の画家を考慮すれば、年月を経るにつれて素晴らしい作品を生み出すミケランジェロやティチアーノ、モナリザのダヴィンチだっています。
私が考えるに、本書で言う進化心理学的観点と創造性を結び付けた記述は、精神分析医のフロイトが提唱したリビドー(性欲)が芸術作品に昇華した概念と通ずるものがあります。異性からモテたいから、集団の中で飛び抜けて優秀な成績を収めたい、社会で出世したい、誰もが認める芸術作品を作りたいという熱い想い、情熱・・・それは確かに若いときほどあるでしょう。それで多くの作品を若いときの方が生み出せるのは分かりますが、それと作品の質は関係ないと私は思います。個人的には活力や集中力を高めてくれる男性ホルモンの一種であるテストステロンの高低が関係あるのでは?とも考えています(年齢と共にテストステロンは下がり気味になるのは事実)。
他にも本書ではオリジナリティ・独創性の項目に関しては論理の飛躍が散見されます。まず、人類の男性全員が同性愛であれば文化は生まれていないという記述は言い過ぎです。女性の作家の視点が抜けていますし、音楽の世界でも美術の世界でも同性愛で素晴らしい作品を生み出す作家はたくさんいます。何でも性欲(異性を獲得し、子孫を残すという本能)に結び付けてしまったため、創造性に関しての記述は残念な印象を持ちました。
感想・まとめ あけすけに性差から来る本能について論じた本で刺激的ではある一冊。男女の違いや本能的に感じる欲求の知見は人間理解に役に立つ。
人間社会の文化や行動を進化心理学の視点から紐解いていく一冊です。刺激的ではあり、統計的に裏付けがとれた事実である事は間違いないでしょう(先に言った創造性に関しての項目は除く)。本書を読み進めていくことで男女の違いを言語化・明文化していく感じが得られ、自分の行動や他の人の行動、人の持つ欲求について考える道具を手に入れることが出来ました。
注意すべきは、本書で述べられていることは統計的な事実(傾向)であって、現代の価値観や道徳観と比べて正しいかどうかとは別であることです。もちろん例外は発生しますし、その例外こそが面白い所ではあります。本書でも最後に進化心理学では解決出来ない問題をリスト化しており、人間行動の全てが遺伝子だけを残す=生存本能だけではないことを示唆しています。
私たちが本書で言われている傾向を抱いているのは紛れもない事実であり、自分の考えを見つめ直したり、他者との付き合いについて考えたりするのに役に立ちます。また、創作活動の中でキャラの設定を考えるとき、本書から得られた男女の違いに関しての知見は大いに役立つだろうと思います。
社会で生まれ育つうちにこうした本能的な傾向を無かったことにしがちですが、自分の中にある動物的に植え付けられたものとして受け入れる視点も必要だなと感じた一冊です。
■「進化心理学から考えるホモサピエンス 一万年変化しない価値観」アラン・S・ミラー、カナザワサトシ(著)、伊藤和子(訳)、パンローリング株式会社 (2019/1/25)
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