かつて、私が20代前半の頃、「なぜ人は生きるのか、生きる意味があるのか?」についてかなり真剣に考えたことがある。誰もが一度は人生の意味については考えると思うが、当時は貪るように本を読んでいた時期で、その中で出会った一冊、イギリスの小説家・劇作家として活躍したサマセット・モームの小説『人間の絆』に大きく影響を受けた。
『人間の絆』は吃音症など多くの生きづらさを感じていたモームの自伝的小説で、「人生はなんのためにあるのか?」「今自分のしている努力は報いられるのか?価値はあるのか?」などいかにも青年期の多くの人がぶつかるであろう不安定な自己省察、葛藤が生々しく描写されている。
ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham、1874年1月25日 – 1965年12月16日)肖像。詳しくはWikipedia(サマセット・モーム)を参照してほしいが、彼の人生はなかなか生きづらそうである。
自分の理想との葛藤、誰もが多かれ少なかれ劣等感を抱いているとは思うが、当時、高校を中退して人より周回遅れでどうにか大学生となった劣等感に飲まれていた自分にとって、この小説はとても刺さったものだった。青春を謳歌することもできず、惨めに辛酸をなめていた自分。自分ではこうありたい、こう振る舞いたい、つまり幸福に生きたいと思っているけれど、全てが失敗に終わり、努力が空回りして不安定だったあのころ。こんなに満たされない思いをして人生に意味はあるのだろうか、人生を生きるとはどういうことだろうか?この小説から一つの答えを得ようとしていた。
寝る間を惜しんで一気に読み進め、物語の終盤に近づくにつれ、この小説から一つの答えを知った。
それは人生には意味などない、という衝撃的なものだった。
「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ、と。人生の意味など、そんなものは、なにもない。そして人間の一生もまた、なんの役にも立たないのだ。彼が、生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは、いっさいなんの影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」
人生に意味などない。
人生の目的とは、意味とは何か?を問いかけ続けて来た当時の私にとってこの小説から提示された「人生は結局は無意味」という答えは衝撃であった。当時は本を読んでもノートをつけたり、記録に残すなんてことはしなかったから、あれから何年も経っているのに今でも鮮明に覚えているのはそれだけ私の人生に響いたということだ。
諦めの極みのような境地にあって、でもどこかスカッとした気分。人生に意味や目的を探し続けるからこそ余計な生への執着が生まれ、理想や幸福への執着こそが人生を生きづらくしているのだ。
宇宙の長い歴史からみたら、人の一生など瑣末なもの。いくら高みを目指したとしても、いつかは儚く消える。
人生は無意味であり、成功も失敗も何ら意味はない。それであるなら、今この一瞬の人生を楽しむ方へ意識を向けたほうがいいのではないか。高い理想を目指すのもいいけれど、そのために今を犠牲にしていないか?今ある人間関係や自分の持っているものの価値をないがしろにしていないか?と今ある自分に意識を向ける。これまでの自分の積み重ねに目を向け、今目の前の現実を生きるということの大切さに気づく。
達観した視点で人生の無意味さを示した本小説だが、無意味だからと言って何もしないとか、悲観的になる必要はなく、むしろ無意味だからこそ一度しかない自分の人生を有意義に生きようと思う。自分なりに誠実に、今この一瞬を楽しみながら噛み締めて生きていこうと思う。肥大化した自意識、理想や幸福を追い求め続ける人生の虚しい執着から解放され、自由な発想で人生が見つめ直せるようになった一冊だ。