【書評と要約】「ファスト&スロー あなたの意志はどのように決まるか? 下」ダニエル・カーネマン(著) 下巻は行動経済学がメイン。人が持つリスク回避傾向と選択行動について学べる一冊

【書評と要約】「ファスト&スロー あなたの意志はどのように決まるか? 下」ダニエル・カーネマン(著) 下巻は行動経済学がメインでリスク回避と選択について学べる一冊

人の認知とバイアス、不合理な選択や意思決定プロセスについて学べるダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー あなたの意志はどのように決まるか?」。前回の上巻に引き続き、今回は下巻のレビューです。上巻と比べると下巻は人のリスク状況下における選択行動といった行動経済学がメインといったところ。学術的でお堅い文章、冗長さを感じる部分はありますが、ダニエル・カーネマンを有名にしたプロスペクト理論も詳細に扱われており、下巻をじっくり読めば行動経済学についての知見はバッチリと得られるでしょう。

直感はあてにならない。直感が働くには規則性とフィードバックが欠かせない。

直感はあてにならない。直感が働くには規則性とフィードバックが欠かせない。
まず最初は直感についての話です。

直感意志決定の大家ハーバート・サイモンによれば、直感は認識に過ぎないといいます。状況から手がかりを見つけ、その手がかりがその人の記憶に埋もれた知識や情報を掘り起こします

直感が効果的に働くには明確な規則性とフィードバックが欠かせません。直感を正しく働かせるには、予測妥当性が高い分野(学習や規則性が十分に在り、的確に予測が出来る精度)その分野に対しての知識や経験が豊富でなければいけません。

私たちはつい直感こそ正しいと思いがちですが、それはフィードバックの積み重ねがあってこそ。自分の判断が間違いであったか、正しいものであったかのフィードバックの積み重ねを経て直感が磨かれます。

更に、知識や経験が浅い分野での直感はバイアスや経験則(ヒューリスティック)の影響を受けます。専門家の主観に満ちた直感はあてになりません。主観的な自信は判断の確かさを保証するものではないのです。

人は自分を平均以上だと思いたがる

大半の人が自分は平均の人よりも優れていると思いがちです。自分がやればうまくいく、という楽天的で自信過剰になる傾向があります。確率は天文学的に低くても、自分なら当選するかもしれない、という夢を見て宝くじを買ったりしますよね。

資本主義の社会では、起業家や投資家はこの楽天的で自信過剰な部分があるからこそ投資や起業ができる側面もあるといえます。一方で多くの人が自分にとって不都合な事実や自分の信念にそぐわないアイデアや根拠をないがしろにする傾向を持っています。その結果、リスクや納期の見積もりを誤りがちになってしまいます。

所有効果という概念では、一旦何かを所有するとそのものの価値が大きく感じられます。一方で手放すときには重みを付けて考えがちになります。

ベルヌーイの誤り 結果が同じであれば誰もが感じる心理的価値も同じ…という訳ではない。

ダニエル・ベルヌーイ
ダニエル・ベルヌーイ

著者のダニエル・カーネマンはノーベル経済学賞を受賞し、行動経済学を切り拓いた人物として知られています。本書では人間は経済学で考えられているような常に合理的に判断し、行動出来る訳ではないことをベルヌーイの誤りと自身のプロスペクト理論から説明しています。ファスト&スロー下巻の見所はこのダニエル・カーネマンが語る行動経済学にあるでしょう。
 
ベルヌーイの誤りとは、スイスの科学者ダニエル・ベルヌーイの理論「リスクの測定に関する新しい理論」についてのことで、お金の心理的価値=効用についての理論の誤りのことです。ベルヌーイは「ごくわずかな富の増加から得られる満足度(効用)はそれまで保有していた財の数量に反比例する」として、人々の選択は金銭的な絶対額の価値ではなく結果の心理的価値で決まるとしました。例えば1万円しか持っていない人が10万円を貰ったら嬉しいですが、1億円持っている人が10万円を貰っても同じようには喜びませんよね。しかし所得の変化で20%昇給した、といえば貧乏人にも金持ちにも同じ心理的な価値が実感出来ます。この20%が効用と言われるもので、ポイントは人は富の絶対額ではなく期待される効用によって動くとした所にあります。合理的な人間は最も期待値(期待効用)が大きいとされる選択肢をとるとされ、彼の理論は人々のリスク回避の傾向を説明し、経済学の分析にも長年使われてきました。
 
しかし実際にベルヌーイの理論は穴があって、それは現在の富の状態しか考慮しない点にあります。例えばAさんが100万円、Bさんが900万円を持っていたとして、一週間後にAさんが500万円、Bさんも500万円を持っているとしたら、AさんとBさんの幸福度は同じではありませんよね?Aさんは嬉しいですし、Bさんは悲しい気持ちになっているはずです。しかし、富の今の状態を見るベルヌーイの理論では現地点でAさんもBさんも同じ500万円を持っているのだから同じ満足感(効用)を持っていると説明します。

重要なのは参照点。何かを基準にしてどう変化したかが重要。

ベルヌーイの理論では参照点という観点が欠けていました。参照点とは人が心理的な判断の基準とする数値で、人の判断はその参照点からみて得するか、損するかによって変化します。今自分が持っている富を参照点とし、そこからどのような変化をするのかによって人々の行動や期待が変化します

ベルヌーイの理論モデルは富の変化では無く最終的な富の状態をみます。そのためリスク回避については説明できますが、参照点という観点が無いために、人それぞれが持っているリスク選好の違いは説明できませんでした。

プロスペクト理論 損失回避の原則と参照点と確実性。人間は機械のように常に合理的な判断が出来る訳ではないということ。

プロスペクト理論 人間は機械のように常に合理的に判断が出来る訳ではないということ。
人は今持っているものを基準にそこからの変化を参照して物事の選択を行います。プロスペクト理論では参照点損失回避の観点から人々の選択行動について説明します。(*プロスペクトとは見込みのこと。)

基本的に人は損を避け、得をする選択をとります。リスクを減らすような堅実な選択が取れればそちらを選び、損をする選択肢しかなければ一か八かで利益になるようなギャンブル(賭け)に出るようになります。追い詰められた人ほどギャンブル(リスク追求型)に出やすいのは、どちらにせよ負ける運命ならば、少しでも大きく稼げる(自分が得をする)選択肢を選びたいと考えるからでしょう。

プロスペクト理論の前提として、その人の持つ参照点をまずは知ることが挙げられます。そこから損失回避の原則を当てはめていきます。

損失回避の原則では、人は損失のほうが利益よりも大きく感じることであり、損失となるような選択肢や行動は強く忌避する傾向を指します。

不確実性よりも確実性を選びますし(少し利益を犠牲にしてでも確実な得を選ぶ)、わずかな確率のリスクを大きく見積もる傾向があります(保険業界が儲かる根本)。そして損失を確定するような選択は極力後回しにします(可能性を保持したい)。

プロスペクト理論の欠点としては、選択による期待の変化(選択肢による参照点のズレ)と選択者の後悔という感情を見込んでいないことがあります。同じ結果をもたらす選択でも例えば90%の確率で当たるが10%の確率で外れるといったように期待を膨らませるほど参照点がズレて結果に対する心理的価値が膨らんでしまい、外れた時のがっかり感が大きくなることがプロスペクト理論では説明できていません。

フレーミング:言い回しによる印象の違いは判断に大きな影響を及ぼす

他にも本書を読んで印象に残ったこととして、人は内容では無く言葉の言い回しによる印象で判断を決めている、というものがあります。これはフレーミングと呼ばれるもので、問題の提示や質問の仕方によって問題の捉え方の枠組みが変わってしまい、判断も変わっていくことを意味します。

実質的に中身が同じ選択肢でもリスクを強調するような選択肢を避け、自分の得になる選択を選びます。自分にとって何かが「貰える」選択を好み、何かを「失う」ことを強調した選択は選びません。

こうした人の傾向から、私たちは自分の思っている以上に言葉の体裁に左右されていることに気づきます。

感想・まとめ・考察 未来予測は難しく、人の意志決定を正しく働かせるのは難しい。行動決定についての知見を得たとしても、それを自分に適用するのは難しい。

下巻は主にプロスペクト理論(見込み理論)から参照点と損失回避という二つの概念を活かして、いかに人間の選択が左右されるかについての考察がメインです。上巻ではファストとスロー(速い思考と遅い思考)という二つの認知モードの話が多かったものの、下巻はリスク状況下による人間の選択行動についての記述が多めです。

私が行動経済学について知ったのは大学3年のゼミの時ですが、専門書となるととにかくお堅く数式も出てくるので分かりくいです。その点、本書は数式も出さずじっくり読み込むことで行動経済学についての知見を一般の人でも分かるように出来ています。期待効用の話や言葉の言い回し(フレーミング)によって人の選択が逆転する現象は興味深いです。私たちの遅い思考(スロー、システム2)はひどく怠け者で、すぐに疲れ判断を速い思考に譲ってしまいます。

上巻は人の持つ認知的錯覚について、下巻は経済学と心理学を合わせた人の選択について扱われており、上下巻合わせての全体的なテーマとしては人の合理性について、でしょうか。

特に本書では人が抱く確率の見積もりエラーについての話が多く、いかに人間が自分の未来を予測するのが不得意か強調されています。それほど普段から人は認知的な錯覚(主に速い思考、システム1)に基づいて判断予測を行っていることでもあります。

ただ、本書をどう現実世界の応用に活かすのかは各自自分で考えなくてはなりません。著者のカーネマン自身も本書の結論部で他人の判断エラーについては詳細に分析出来るようになったけれど、自分自身が犯すエラーについては気づく事が難しく研究を始める前とさほど変わらない、と述べています。人が持つファスト(速い思考、システム1)に論理的に物事を教えても無駄で、私たちに出来る事はせいぜい注意深く自分のエラーを犯しやすい状況(自信過剰、楽観的な未来予測、確率のエラー、計画錯誤)を分析することだと述べています。

心理学を現実世界に応用するには「影響力の武器」や「シュガーマンのマーケティング30の法則」、「ザ・コピーライティング」などが参考になるでしょう。本書で得られた行動経済学の知見の現実的な応用例を発見する事ができます。

おそらく日本語で出版されている書籍でプロスペクト理論やリスク状況下の選択行動についての知見は本書がダントツで詳しいと思います。行動経済学を切り拓いた本人の著書だけあって、かなり包括的に扱っています(だからこそ冗長さを感じるのかもしれない)。下巻の付録には読みづらく堅い学術的な論文もついています。

ただ、内容が詰め込みすぎて冗長さを感じ、読み切るのに集中力を要します。それだけ密度が濃いと言えるのですが、下巻は特に実験や選択肢の差異の例が続くため、挫折しないで読み終えるには完璧主義を捨ててある程度飛ばし読みも必要でしょう。じっくり読み込めばそれだけ行動経済学についての知見と人の判断の合理性についての理解が深まるのは間違いありません。

自分が見た物が全てで、頭を使うことを嫌がる人間はリスクを甘く見積もり、自分に関して都合の良い情報のバイアスを持っています。その時の気分や感情によっても状況の捉え方は大きく変化します。普段の日常生活では問題無いとしても、何か重要な決断や判断を行う時にはより慎重に選択肢を検討する必要があるのでしょう。

最後にカーネマン自身も述べていますが、プロスペクト理論の欠点として選択した後の後悔という感情までは見込んでいないことがあります。私としては、最終的に自分にとって後悔の無い選択が出来れば、それで良いのではないかと思います。

■日本語版「ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)」ダニエル・カーネマン (著)、 村井章子 (翻訳) 早川書房 (2014/6/20)

■原著「Thinking, Fast and Slow」Daniel Kahneman (著)

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