「顔に魅せられた人生」辻一弘(著) まとめ感想レビュー 特殊メイクアップアーティスト・現代美術家として生きた人生


今回はハリウッドで特殊メイクアーティストとして長年活躍し、今は現代美術家として活躍する辻一弘さんの本をレビューします。なぜ京都に生まれた日本人の辻さんがハリウッドの特殊メイクアップアーティストとなることができたのでしょうか。その過程には恩師デック・スミスさんとの出会いがありました。ハリウッドで経験した仕事現場や出会い、そしてハリウッドをなぜ辞めたのか。そして今は現代美術家として何を矜持に持って生きるのかについて語られています。本書の終わりにある「エピローグ:夢を追いかける人に覚えていてほしいこと」は多くの夢を追う人たちを鼓舞し、力強い勇気を与えてくれます。

◆書誌情報◆
「顔に魅せられた人生」
著者:辻一弘
構成:福原顕志
宝島社 (2018/7/13)
ISBN-13: 978-4800284761

辻一弘さんの人生 劣等感を植え付けられた幼少時代

「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男(参考:公式サイト)」で第90回アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞し、一躍名を広めることになった辻さんですが、本書を読んでその生い立ちは悩み多き人生だったことがわかります。京都に生まれた辻さんですが、両親から認めてもらえず、ずっと人目を気にしていました。親戚の子供の中で一番年下だったこともあり、なにをするにしても比較され「あんたには無理やろ」と言われ育ったそうです。褒められたこともほとんど無く、学校でも良い人間関係に恵まれず、子供の頃は一人で昆虫の観察や物作りに没頭していたと言います。そしてプライドが高い京都人の裏表のある性格になじめず、なぜ大人は平気で嘘をつくのだろう?と悩んでいたそうです。そうした周りの人間関係から、人の本当の感情を読み取るために表情を観察する癖が身についたといいます。辻さんはアカデミー賞を取ることで本当の意味で幼少期から続いていた劣等感や感情のしこりのようなものが解消できたといいます。

「今回の受賞で一番嬉しかったのは、生まれて初めて、本当に素直に喜ぶことができた、ということ。~中略~ 今までは、状況に応じて周りに流されてその中で悩んでいた。特に映画の世界にいた頃は。一旦外に出て、自分の力で現代アートを始めると、結局は自分次第でどうにでもなるということが、より分かってきた。今回のアカデミー賞の経験で、一番最後に残っていた余計な思いをやっと切り離すことができた。
怖いのは、子供の頃から親子関係や人間関係で、自分がプログラムされてしまうこと。そのプログラムの範囲内でしか生きられなくなってしまう。それは結局自分自身に縛られている、ということ。私は自分の生き方を見つける大事さをようやく実感した。それを理解するのに48年かかったことになる。それでも、それがオスカー像よりも何よりも、今回の一番の収穫だった。」

ではなぜ辻さんは特殊メイクアップアーティストとしての道のりを選ぶことになったのでしょうか。そこには一枚の写真と恩師ディック・スミスさんとの出会いがありました。

運命の写真から恩師ディック・スミスさんとの出会い。

辻さんは夜のテレビで放映される映画が好きだったそうです。SF映画をきっかけに特殊効果の世界に興味を持ち始めた辻さんは書店の洋雑誌のコーナーでSFや特殊効果に関する本を読み漁るようになりました。その中の「FANGORIA」という雑誌の中で一枚の運命的な写真と出会います。当時特殊メイクの第一人者だったディック・スミスさんが手がけた俳優ハル・ホルブルックをリンカーン大統領に変身させた過程の写真です。これまで特殊メークの特集と言えばホラーの世界でモンスターや傷口をどう作り出すのかに焦点を当てており、ホラーの世界が苦手だった辻さんは興味も無く読み飛ばしていました。

雑誌Fangoria #61: February 1987の表紙。google検索したらもっとグロテスクな表紙が…うぇっ

 

しかし、今回のリンカーン大統領の特集は違いました。これまでに見たことがないクオリティの特殊メイクで、実際の人間を作り出すものだったので、辻さんは見た瞬間に「これをやりたい。自分の手でやってみたい」と思ったとのことです。これまでにも昆虫観察や生き物に対する好奇心が強かった辻さんは、このリンカーン特殊メイクのページを開いた時に「何かが繋がった」感覚を得たと言います。

リンカーン大統領に変身させる特殊メイクの特集

特殊メイクの世界に自分の興味を実現したものを見いだした辻さんは、買っていた洋雑誌の中にあのリンカーン特殊メイクを作ったディック・スミスさんの私書箱の住所を見つけて、早速英語で文通をはじめました。返事は期待していませんでしたが、まさかの返事が。ディックさんも写真を送ってくれれば色々と教えてくれると言います。こうして二人は文通のやりとりをするようになり、辻さんも熱心に試行錯誤を重ねていきました。当時、進路を決めなくてはならない高校3年。高校卒業まで一年を切っていたことによる集中により文通の頻度は増していきました。辻さんは信頼を構築できなかった両親に代わる、本当に信頼できる人生の師匠としてのディック・スミスさんとの出会いを果たしたのです。

「本当に自分の尊敬できる存在に出会えた、と思った。本や映画の中の憧れの人ではなく、現実に自分の見本になるような人が、自分の人生に登場した瞬間だった。~中略~ディックと手紙で繋がってからは、自分の目指すべき存在が本当にいるとわかり、それまでの憧れや趣味が、仕事という現実のゴールになった。」

こうして見てみると、人生を切り開くのはピンときた時にすぐ行動する「行動力」、「期限を意識した徹底的な集中」に加えて、「人生の転機は人との出会いにある」と気づかされます。

下積み時代と夢のハリウッドでの生活とその現実

本書はこの後、辻さんの日本での初仕事からハリウッドでの生活が綴られていきます。最初の仕事は、ディックさんが色々と手配してくれ、「スウィートホーム(参考:Wikipedia)」という日本映画で現場経験を積んだそうです。そのあとに独立して有名監督らと仕事をしたあと、代々木アニメーション学院で初めての特殊メイクコースの講師を任されることになったりしましたが、安定した給料を得られても日本で生活をしていくなかで人生が停滞している感覚から、ハリウッドに行けるチャンスを模索します。ビザの関係でなかなかハリウッドに行けず悩んでいたのですが、ある日ハリウッドのトップ特殊メイクアップスタジオ「シノベーション・スタジオ」から電話が来ます。「就労ビザも何もかも用意するからいつでも来てくれ」とのこと。以前一緒に働いたこともあるエディというアメリカ人の特殊メイクアップアーティストに相談したことからこうしたチャンスが舞い込んで来た(エディさんの推薦があった)わけですが、リックというシノベーション・スタジオのトップも辻さんの作品を知っていたことも大きかったそうです。辻さんは継続して自分の作品を磨き続け、自分の限界に挑んだ20代の人を80代にする老けメイクの作品写真をエディさんにも送っていました。そのことでリックさんの目に作品が触れることになり、トントン拍子でハリウッド行きが決まったそうです。誰かを頼ることで道が切り開かれること、そして本人の継続した努力の成果をアウトプットし続けることが思いも寄らぬ機会を引き寄せてくれたいい例だと思います。

辻さんはそれまで恩師のディックさんのやり方を真似ていましたが、限界を感じ、自分のやり方を模索していきます。その結果、大きく飛躍できました。特殊メイクアップスタジオでの勤務はプレッシャーを感じるところですが、辻さんの譲れないこだわりや妥協できない仕事ぶりが徐々にスタジオ内でも浸透していったそうです。着実に実力を伸ばしていった辻さんはハリウッドでも頼られる特殊メイクアップアーティストになりました。撮影現場では役者のわがままもあり、精神的につらいこともあったとか。それでも真面目にコツコツと自分の出来る最大の努力を継続していったそうです。とにかくいい作品を作り、それを示すことで周囲から信頼感を勝ち得ていきました。

ハリウッドを離れ、現代アーティストへ

辻さんはハリウッドで長年働いていましたが、年々特殊メイクにかける予算が減り自分の作りたい物が作れない葛藤に悩んでいました。ハリウッドでは売れる映画が求められ、CG化の波もありアナログな特殊メイクは軽んじられる流れになってきたのです。映画業界を去るにあたり、これまで積み上げてきた物が無になってしまう恐怖もあったといいます。しかし、恩師の最後を見届けたあと吹っ切れたように仕事を辞め、自分が本当にしたい仕事、人物のポートレイト作りに没頭することになります。

顔に魅せられた作品作り

辻さんは人の頭部のポートレイト作りをしていて、その人の人生と自分を重ね合わせていると言います。始まりは人生の分岐点となった「リンカーン」、次にアメリカを象徴した芸術家である「アンディ・ウォーホル」。そのどちらの人生も自分と重なり合う部分があり、強く共感をしているといいます。

「特殊メイクから現代アートに転身したが、常に人間の顔というものに魅せられてきた。顔が持つ造形的な奥行きが好きだ。人の顔には表面があり、形があって、そこに感情がつき、その中に考えがあって、真ん中に魂がある。それが表面にどう伝わっているのかを見るのが楽しい。そして、何を大事にしてどんなふうに人生を歩んでいくかで、人の顔は年齢とともに変わっていく。それを見るのが楽しい。それ自体が、私にとってはアートだ。リンカーンもウォーホルも、自分を信じて人生の目的をやり遂げようとした。その結果が顔にどう現れたのかを表現するのが、私のポートレイトだ。」

人の顔を作ることは彼らの人生を理解し、痛みや葛藤、困難に直面したときにどういう気持ちになり、どう乗り越えたのか、彼らの人生の追体験をしていくことだといいます。

「ウィンストン・チャーチル」での一生に一度のオファー

映画業界から離れ、現代美術家としても軌道に乗り、もう映画には戻るつもりがなかった辻さんですが、一生に一度のオファーが辻さんの元に届きました。俳優ゲイリー・オールドマンが映画「ウィンストン・チャーチル」の出演オファーを受け、その特殊メイクを辻さんにやって貰いたいとのこと。さらには辻さんが特殊メイクを担当してくれなければ映画を降りるともいいます。これは辻さんの物作りの原点「リンカーン」に通じる、実際に生きた歴史の人物を再現する特殊メイクの仕事でした。悩み抜いた末、辻さんはこのオファーを受けることにします。集中して全力を出したことで、映画としても良い作品となり、アカデミー賞を受賞するまでになりました。この仕事を請ける前は一度映画を捨てた自分を裏切ることになるかも、という思いもあったそうですが、いかにその考えがちっぽけなものであったかに気づいたそうです。

「自分にしかできないことを望まれて、自分が答えをだせるのなら、業界や分野を問わずやり続けていくべきだ」

総評

満足度は100%。よくぞ宝島社はこのような書籍を出してくれたと思います。劣等感をバネにして成功した辻さんの生き方は、多くの不器用で劣等感を抱えている人にとって励みになると思います。私も辻さんの生き方から多くを触発されました。努力と継続はもちろんのこと、人との出会いが人生を新たなステージへと導いていることが分かりました。本書の最後に「エピローグ:夢を追いかける人に覚えておいてほしいこと」は是非皆さん自身で読んで欲しいと思います。自分の心の声・直感を信じて前に進む勇気を貰いました。クリエイターを目指している人なら何かしら感じ得るものがあります。お勧めです。

参考

辻一弘 (Wikipedia)
辻一弘 公式サイト (英語)
映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」公式サイト
辻さんの恩師ディック・スミスさんのWikipediaページ

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