20代前半のころは悩み多き時代でした。大学で臨床心理学に手を出していたこともあって、フロイトの無意識やユングの集合的無意識、自我や超自我、意識などの抽象的で漠然としたテーマの沼に足を踏み入れてしまい、本書のような真我といったスピリチュアルを強く意識させる本も読んでいたものです。
でも、結局現実を変え悩みを消すのは現実世界の行動なんですよね。スピリチュアルや引き寄せ系の本は一歩間違えればただの現実逃避、気休めにしかなりません。あれからいろんな試行錯誤を経て、今では科学的なエビデンスのあるものしか受け入れられなくなった私ですが、思想としての真我は面白いですし、インドの思想哲学、ヴェーダーンタ哲学の概念はクリエイティブなアイデアとして興味深いものです。ヨガの源流となるインド哲学の教養として読むのなら在りでしょう。
今回はかつて非科学的な概念の沼にはまり込んでいた自分への区切りとして本書の知識をまとめ、現実的にどう実践するかを考察してみます。(いつも以上に概念的、抽象的な内容なので苦手な人は注意。)
目次(Contents)
ラマナ・マハルシとは?教えは極めてシンプルなもの。
ラマナ・マハルシはインドの聖者です。「私は誰か?」という徹底的な問いかけをすることで、ただ存在するもの(アートマン=真我)の境地を探求します。誰もがいつどんな時でも真我を実現しており、ただ私という自我に覆われてそれに気づいていないだけだと言います。
本書の教えはとてもシンプルで、今自分が「私」と思っている「自我」というものが全ての悩みや欲望、執着を生み出しているので、その「自我」から離れて、「自我」を生み出している大元の存在(アートマン=真我)に気づき、そこに在りましょう(真我実現)というもの。
こうした自分の中に神(絶対的な真実(真我))を見出す姿勢は「自己信頼」のエマソンにも共通していると感じます。
こうした思想自体は面白いのですが、真我を扱った本やネットで見つかる情報は悟りや神、宇宙などあまりにも非科学的でスピリチュアル的な文脈でしか語られていないのが難点だと感じます(波動とか神とか関係ないから!って思う)。本書自体はインド哲学やヨガに通じる深遠で真面目な本ですが、スピリチュアルが苦手な人には読むのが辛い本でしょう。
デカルトの「我思う故に我あり」とも類似点がある真我の思想
フランスの哲学者デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と、思考する自己の存在を明らかにしました。これは「”自分の事を考えている”自分」は否定しようのない存在であることを意味しますが、マハルシの解く真我もこれに近いものを感じます。
自我を生み出す大元となる真我にただ在るということを、マハルシは本書の中で「眠り(夢)の状態」に例えて何度も説明しています。私たちが夢を見るとき、体は無く意識だけが存在しています。自他の区別や物の輪郭は無くなり、意識という存在がただ世界を眺めている状態です。目覚めると夢を見ていたと気づきますが、夢をみている最中は自分が夢を見ていることに気づかず、ただ存在している事だけを実感しています。このただ存在している感覚が重要で、目覚めているときも夢見の時のような状態、自我という覆いに被さっている真我という状態に気づき、そこに在ることが平和と安寧をもたらすとします。
かなりスピリチュアルっぽい内容ですが、心理学で言うと究極のメタ認知をしている訳です。
真我探求の手法は徹底的なメタ認知。自分を客観視する力は大きな強みになる。
・意識する主体は何か?
・私を私だと考えているその発信元はどこにあるのか?
を徹底的に探求するのが本書で言う真我探求ですが、これは見方を変えれば高度にメタ認知を行うことです。そしてこのメタ認知が本書の教えを日常生活に落とし込む為の実践的な糸口になると私は考えています。
セルフコントロール能力は人生を上手く進めるのに欠かせない能力ですが、メタ認知を行うことで高める事が出来ます。今自分のしていることを客観視する力、行動に気づく力は新たな習慣を身に付けるときや悪い習慣を辞めるときに役立ちます。
本書で言う真我探求は自己内省力を高め、よりよく自分の行動をチューニングするにあたって役に立つと言えるでしょう。
真我にただ在り、自分に与えられた仕事を結果を期待せずにただ行動せよ、というのが教えの神髄。究極のセルフコンパッションであり、悩みが消えて行動出来る足がかりになる。
ヒンドゥー教の聖典バガヴァッド・ギーターからの引用も多いです。とある国の王子が自分の肉親を戦争で殺さなければならなくなったとき、自我の悩みに囚われずに天が決めた仕事(敵となった親族を殺すこと)をやり遂げよ、というエピソード。行為の主体である「私(自我)」を意識すると行為に縛られるので、天命として受け入れ自分の目の前の仕事をやり遂げればいいというお話。
宿命論、運命論と近いのですが、要約すれば「あれこれ思い煩うこと無くただ自分の仕事を成し遂げよ」ということでしょう。人それぞれ自分のするべき仕事、宿命があるので、思い煩うこと無く目の前の仕事を成し遂げるという内容で、本書では自我を真我に明け渡すという表現で述べられています。
明け渡しに重要なのが行為の結果に期待しないこと。自分の起こした行動の結果を期待してしまうとそれは自我の行為となり、行動の結果に責任(執着)が生じます。行動の結果に期待しないで、ただ目の前の自分のするべき仕事に集中するのがポイントです。
見方を変えれば「自分の今の状況は必然なのだから、ありのままに受け入れ、自分は自分を信じて行動していこう」、という風に捉えることができます。こうした考えはありのままの自分を受け入れるセルフコンパッションに役立ち、悩み事などの余計な思考がクリアになるために行動実行能力を高める事に繋がります。
本書の疑問点など
・とにかく「自我」が悪者にされていてかわいそう。自我を無くすべきものであれば、なぜそもそも自我という物が存在するのだろう。自分は自我があっても良いと思う。
・全3巻あるが、全編を通じて同じような悩みを抱えた人にマハルシが同じような回答を返しているので全部読まなくてもOK。教えは徹底的にシンプル。人はシンプルな物ほど納得して受け入れるのが難しく、複雑にして教義化する傾向がある。マハルシの言っていること自体は全然難しいことは無いと思う。
・本書の教えで言えば全ては真我であり、全ての事象は真我の生み出した想念に過ぎない(プラトンのイデア論と似ている)。
・ラマナ・マハルシに帰依する人がいたり、学会など複雑組織化する流れはマハルシの教えとは逆行するものだと思う。本書の教えを実践するのであれば、「己の中にある真我に気づき、あるがままに在ること」だけでいいのに、ラマナ・マハルシを聖者として特別なものとして崇めることは「自分の中の真我」をみていない(マハルシと自己の真我を区別している)のだから、教えの実践にはならないと思う。
・インドのカースト制度についてのマハルシの答えは納得出来なかった。たぶんカースト制度ですら超越しているのだろうけれど、この教えの限界を垣間見た気がした(徹底的な現実逃避、世捨て人に繋がりそう。私は世捨て人が良いとは思わない。)。
・下手すれば犯罪者やテロ組織といった極悪人にもこの教えが自己肯定として作用しそう。「天の教えに従って・・・!」ってイスラム過激派の主張することでもあるからな・・・。
・悩みや不安を無くそうとするのでは無く、悩みや不安があるから人生である、と受け入れればいいのにって思う。みんな悩みを無くそうとするから悩みに囚われるんだなって思った。ただ目の前の自分のするべき仕事や義務、行動をすればいい。目の前の事に集中すれば良い。
感想・まとめ 古来より続く思想から日常生活で感じる生きづらさを軽減するヒントを学ぶ。
インド哲学やヴェーダーンタ哲学、真我といった思想を分かりやすく誰にでも出来る形にかみ砕いて説明しているのがラマナ・マハルシの特徴です。
全3冊ありますが、内容は極めてシンプルです。乱暴にまとめてしまえば、自分の内面にある人生の道筋を示してくれるアンテナみたいなものを信頼し、今目の前の自分のするべき仕事にただ取り組みましょうということです。
スピリチュアル的な視点では無く、これまで多くの科学的な統計に基づく心理学本を読んできた観点から読み直して、実生活にどう活かすのかについて自分なりの考えをまとめると、
・真我の中にただ在る状態とは今ある自分の状態をありのままに受け入れ、思考や行動にマインドフルネスになること(悩みや疑念を生み出す自我から離れ、自分のするべき仕事に集中すること)。現状を良い意味で受け入れ(セルフコンパッション)、余計な悩みや患いごとにワーキングメモリー(脳の短期記憶の部位)を使わずに今自分のするべき仕事に集中できる。
・メタ認知の訓練として自分の今している行動や考えている思考を客観視する能力が高まり、感情や思考から距離を置くことで結果としてセルフコントロール能力が高まる。
本書を読んでいると、少し前に話題になったマインドフルネス(今現在の思考や感覚、行動に意識を向けること)は東洋の瞑想というものを西洋が捉え直したものですし、今ある科学的なエビデンスのある心理療法はこうした古来から続いている宗教的な教えを科学的に検証できるように言い換え、再構成したものかもしれません。
参考→【書評と要約】幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない ラス・ハリス 感情や思考から距離を置き、価値ある行動を実践していくために
・完璧主義に効くクスリ「セルフ・コンパッション」クリスティーン・ネフ【まとめ要約レビュー】
でも、やっぱり自分に合っているのは科学的なエビデンスのある知識だな、と改めて思いました。抽象的な概念の世界に浸っているのは確かに居心地は良いのですが、ぬるま湯みたいなもの。本書も崇高な教えとして読むと言うよりも、インドの精神やヨガの一種であるジニャーナヨガ(智慧のヨガ)を学ぶための教養書として読んだ方がいいと思います。悩みを解決し、現実の世界と向き合うためには実践的、科学的な裏付けのある知識の方がずっと役に立つと思います。
■「ラマナ・マハルシとの対話 第1巻」 ムナガーラ・ヴェンカタラーマイア (著), 福間 巌 (翻訳), ナチュラルスピリット (2012/12/15)