七つの大罪とはキリスト教の西方教会(西ヨーロッパに拡がり成長したキリスト教諸派)、カトリック教会における人を罪に導く可能性のある欲望や感情のことです。移り変わりはあるものの、「憤怒」「強欲」「怠惰」「嫉妬」「色欲」「暴食」「傲慢」の7つの罪が列挙されています。以下一つ一つ自分なりの考察やまとめです。
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憤怒の罪(ira,wrath,Anger)について
憤怒・怒り(Anger)の感情はキリスト教でも人が持つネガティブな感情として位置づけられています。怒りによって心がかき乱された状態では判断を間違い、寝る前に怒りの感情に囚われていては安静も得られません。怒りは周囲の人々もイライラさせます。
ダンテの「神曲 煉獄編」では「憤怒を悔悟した者が、朦朦たる煙の中で祈りを発する。」ことで罪を浄めるとされています。
強欲の罪(avaritia,greed)
強欲・物欲は歯止めが掛からず、求めれば求めるほど泥沼にはまり込む欲望の罪です。足るを知ることが心に平安をもたらします。資本主義である以上、ある程度の欲望が無ければ成功は出来ませんが、行き過ぎは罪。アレも欲しい、これも欲しいと自分が持っていない所ばかりに注意が向くようになります。ギャンブル中毒やソシャゲのガチャ中毒などはまさに強欲の罪でしょう。
ダンテの「神曲 煉獄編」では「生前欲深かった者が、五体を地に伏して嘆き悲しみ、欲望を消滅させる。」ことで罪を浄めるとしています。
怠惰の罪(pigritia,acedia,sloth)
怠惰(Sloth,Laziness)は本来するべき事を怠ける、先延ばしにする、後回しにする、義務を怠ることへの罪です。面白いのがキリスト教では「働き過ぎ」を戒めることにも怠惰の罪が当てはまるということ(参考)。キリスト教には安息日が定められており、安息日を破って働き続けることが「休まなければならない日に働き続けた罪」になるといいます。休むときにはしっかり休み、働くときには働くメリハリを付ける事が重要ですね。
ダンテの「神曲 煉獄編」では「怠惰に日々を過ごした者が、ひたすらこの冠を走り回り、煉獄山を周回する。」ことで罪を浄めるとしています。強制マラソンか…。
嫉妬の罪(invidia,envy)
嫉妬(invidia,envy)は相手をやっかみ、否定したい、下げたいという感情ですが、その背景にあるのは自分もそうなりたいという感情です。何かに嫉妬を覚えるのは、相手が自分の欲しいものを持っているから。それに対して自分はまだその欲しいものを手に入れられていない、そしてどうやったらその欲しいものが手に入るのか分からない。自分の境遇や環境の不遇、能力不足などやりきれない感情です。現代ほどテレビで自分と同年代や年下が活躍して報道される時代は無いので、今は嫉妬の時代とも言えるのではないでしょうか?
ダンテの「神曲 煉獄編」では「嫉妬に身を焦がした者が、瞼を縫い止められ、盲人のごとくなる。」ことで罪を浄めるとしています。みたくないものは見なければいい。嫉妬に身を焦がしている暇があったら、努力して自分を磨いていこうということでしょうか。
色欲の罪(luxuria,lust)
色欲・肉欲(luxuria,lust)は人の生物学的な本能ですが、多くの宗教で不適切なものとして罪とされています。仏教では煩悩ですし、色欲のために身を滅ぼすことは人類普遍の話。ただ…歴史を紐解いたり、姦淫事件や創作作品などで描かれている事例を考慮すると、我慢して押さえつけようとする程この罪に囚われる人が多いと感じます。フロイトは性欲を精神分析と結び付け多くの人に影響を与える思想を提供しました。成功した経営者には性欲が強い(テストステロン値が高い)人が多いのも事実なので、押し殺すよりもどう生産的なエネルギーとするかの方が大事だと思います。
ダンテの「神曲 煉獄編」では「不純な色欲に耽った者が互いに走りきたり、抱擁を交わして罪を悔い改める。」ことで罪を浄めるとしています。
暴食の罪(gula,gluttony)
暴食(gula,gluttony)は食糧や資源を貪る者のことで、これも罪とされています。私の周りを見てもお酒を飲んで身を滅ぼす人はとても多いです。食べ過ぎて肥満になるとセルフボディイメージが下がって自信を無くしたり、自己嫌悪にも繋がったりします。節制を行える能力、セルフコントロール能力は人生を幸福に生きるためには欠かせないですね。
ダンテの「神曲 煉獄編」では「暴食に明け暮れた者が、決して口に入らぬ果実を前に食欲を節制する。」ことで罪を浄めるとしています。これはキツいなぁ…。美味しそうなごちそうを前にずっと食べずに我慢し続けなければならないなんて。
傲慢の罪(superbia,pride)
傲慢・高慢(superbia,pride)・虚栄心(vanity)はおごり高ぶって人を見下すことですが、これも罪とされています。自分の能力に対する過信は神の力を信じる信仰心を妨害するもの。旧約聖書の箴言にも「奢る者は久しからず(Pride goes before a fall)」という言葉があり、傲慢こそ最も重い罪であるとする見方もあります。
ダンテの「神曲 煉獄編」では「生前、高慢の性を持った者が重い石を背負い、腰を折り曲げる。」ことで罪を浄めるとしています。自分を圧倒する力の存在を感じ、畏怖の感情を持つことでしょうか。知的謙遜とも繋がる話ですね。
7つの大罪の由来と聖書ではどう書かれているか
7つの大罪は、4世紀の修道士エヴァグリオス・ポンティコスが修行を実践する修道士を悩ませる誘惑や困難についての考察を彼の著作「修行論」にまとめたのが始まりとされています。彼が提示したのは8つの悪徳でしたが、それがラテン語世界へ伝えられ、キリスト教世界に取り入れられました。
キリスト教の聖典である聖書には7つの大罪の直接的な記述は無く、「誰々と関わるな」といった感じ(箴言)で間接的にどういう行いをするべきかが物語として語られています。
漫画作品での「七つの大罪」
検索してきた人の中には鈴木央(すずきなかば)さんの漫画「七つの大罪」の事を知りたくてこのページにたどりついた人もいるかも知れません。実は私も全巻Kindleで購入し、愛読している一人です。詳しくはネタバレになるので避けますが、「七つの大罪」はアーサー王伝説からモチーフを得ている作品で、キャラデザが良く絵に迫力があるバトル漫画です。インフレが序盤から物凄いですが、なかなか面白いですよ。
漫画作品「七つの大罪」では7人のキャラクターに罪の名前が通称として付けられています
憤怒の罪→メリオダス:金髪の主人公。
強欲の罪→バン:主人公の相棒で不死身のアンデッド。
怠惰の罪→キング:妖精王で絶大な魔力を持つ。
嫉妬の罪→ディアンヌ:巨人族の怪力少女。大地の力を生かして戦う。
色欲の罪→ゴウセル:中性的な美青年。
暴食の罪→マーリン:天才魔術師て計り知れない魔力を持つ。
傲慢の罪→エスカノール:太陽の力で一時的ではあるが途轍もないパワーを持つ。
どのキャラクターも造形や個性が大変素晴らしい作品なので、興味がある人はぜひ読んでみてください。
ちなみにnetmarble社が2019年6月にリリースしたスマフォゲーム「七つの大罪グランドクロス」は非常にハイクオリティな作品で、原作を読んでいなくても原作のストーリーをそのままなぞる事が出来るので興味があれば体験してみるのも良いと思います。
参考・出典
・Seven Deadly Sins
・Wikipedia(七つの大罪)
・[Top画像]ヒエロニムス・ボスの「七つの大罪と四終」(Table of the Mortal Sins / The Seven Deadly Sins and the Four Last Things)1485年
・Wikipedia(ポントスのエウァグリオス)
・Wikipedia(神曲)
・神曲 煉獄篇 (角川ソフィア文庫) ダンテ (著), 三浦 逸雄 (翻訳) 角川学芸出版; 改版 (2013/11/22) *煉獄山にて7つの大罪を浄める
・Wikipedia(七つの大罪(漫画))