人は得をしたいという気持ちよりも、損をしたくない気持ちが強い生き物です。損を回避したいあまり、結果的に損になる選択をしてしまうことがあります。今回は行動経済学者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman 1934年3月5日 – )の提唱した「プロスペクト理論」を軸に、人が持つ損失回避の原則についてまとめます。
目次(Contents)
「プロスペクト理論」とは
「プロスペクト理論」とは、行動経済学者ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーらによって展開された人の持つ意思決定のモデルのことです。行動経済学の領域ではノーベル経済学賞を受賞するなど、大きな成果の一つと見なされています。この理論では、人の意思決定を確実・リスク・不確実のいずれかの文脈に置いたときに、どのように人は意思決定をするのかについて調べられました。私は大学生の頃にゼミで扱ったことからプロスペクト理論と出会い、あまりの面白さにワクワクした理論です。(ただしっかりやるには微分積分が必要になる領域です…。)
具体例としてダニエル・カーネマンが行った「コイン実験」を紹介しましょう。(分かりやすくするために実験の詳細や金額の数値などは変更しています。)
コイン実験
コイン実験ではまず最初の被験者に100万円を渡します。そこで実験者は被験者にコインの裏表を当てるコイン投げゲームの質問をします。
2,コイン投げで負けたら、今の100万円は貰えません。(-100万円の0円)
3,コイン投げに参加しない場合は100万円はそのままです。(+-0円の100万円)
この場合、多くの被験者はコイン投げゲームに参加しません(3の選択をする)。勝つか負けるか分からないギャンブルで財産が0円になるリスクを取るよりも絶対確実な100万円の方を選択するのです。
次のグループでは、最初に被験者に100万円の代わりに、200万円の負債がある(-200万円の状態である)と伝えられます。最初と同じように、実験者は被験者にコイン投げゲームの質問をします。
2,コイン投げをして、負けたら負債はそのままになります。(+-0円で-200万円のまま)
3,コイン投げに参加しない場合は、無条件に100万円だけ負債は減ります。(+100万円の-100万円)
どちらも期待値は同じ100万円です。このように提示された場合、人はどちらの選択をするのでしょうか?なんと、最初にコイン投げには参加しないと表明した被験者の多くがこの場合はコイン投げゲームに参加してしまう選択をしたのです。人は確実な損をする場面に直面した場合、リスクを取ってでも損を帳消しにしたくなるのです。
ギャンブル依存の人が、負けを取り返すために更に財産を注ぎ込む心理はこれに在ります。損を回避したい、埋め合わせたい、そのために人はリスクを取るのです。
補足
・最初に100万円を保持していた場合は、既に100万円が手元にあるので、リスクを避け確実に100万円を貰う選択を多くの人がしました。これは別の見方をすれば手持ちの100万円を失うリスクを回避した選択といえます。
・後者の最初から200万円の負債を抱えていた場合、確実に負債を減らす選択(100万円確実にプラスになるが、100万円のマイナスを確定してしまう選択)よりも、一か八か今持っている損失を0にするべくコイン投げゲームに参加してしまう選択を多くの人がとりました。
上記のことから人は損失や負債を大きく捉える傾向が強いことが分かります。(100万円の損>100万円の得)
自動車工場の例
もう一つの例として今度は自分がある自動車メーカーの重役であると想定してみましょう。経済的な問題から3つの工場を閉鎖し、6000人の従業員を解雇せねばならない状況に陥っているとします。事業再生計画として以下の2つの選択肢があります。
B.3つのうち全ての工場と、6000人の職を救える可能性が3分の1である。だが、工場も職も全く救えない可能性が3分の2である。
この提示の仕方では大部分の人はプランAを選びます。80%の人ががリスクを冒すのではなく安全な計画を選んだそうです。
では次の選択肢ではどうでしょう
B.3つのすべての工場と6000人の職が失われる可能性が3分の2ある。だが、すべての工場と職を救える可能性が3分の1ある。
理論上は先の選択肢と同じことを示しています。しかし、この場合82%がプランBを選びました。心理的に違って見えため、好みが逆転してしまったのです。
最初のケースは得るものは何かという視点で選択肢が構成されています。最初にプランAが好まれるのは利益に重点がおかれるとリスクを回避したいという思いがでてくるからです。得るものがある場合、私たちはそれにしがみつき、守りたいと思います。(すべての職を失うリスクを冒すのではなく、確実に2000人の職を維持したいと思う。)
後者のケースでは失うものに重点を置かれて提示されています。人はこの場合、損失を回避するために何かをしなければ、と駆り立てられます。いずれにせよ何千もの職が失われるのであれば、思い切った行動をしてみたくなるのです。
利益ではなく損失が強調されるように少し言い回しを変えただけでリスクの見方を劇的に変えることができた今回の事例。他者にどう働きかければいいのかのヒントになると思います。
考察
これらのことから、人は同じ1万円でも得る時と失うときでは感じ方が違うことが分かります。人は得る時の喜びよりも、失うときの苦しみの方がずっと大きいのです。カーネマンいわく、「損をしたくない心理は得をしたい心理の2倍ほど強い。」といいます。人は損をしそうになると損を穴埋めに出来るリスクをとる傾向があります。逆に言えば、得をしていると感じている時は変化を嫌い、チャレンジがしにくいことを示唆しています。
まとめ
・損を回避したい感情の方が得をしたいという感情よりもずっと強い。
・明日の100より今日の50を取るのが人間。
・セールスをするときには「チャンスを逃がしますよ、損をしますよ」を売り文句にしていることが多いのは人間の損失回避の原則に則っているから。
・逆に今リスクを取って欲しくないとき、行動の変化を望まない時は、現状の得を意識してアピールすると良い。
・ギャンブルでのティルトモードの説明がこれで出来る。ソシャゲのガチャで、せっかく課金したのに目当てのキャラがでなかった場合、凄く損した気持ちになって、損を挽回するべくさらに課金を積んでしまうことがあるのはそのため。
・損を挽回しようと思うから人はギャンブルに乗り出してしまう。リスク状況下では確実な得よりも一か八かに掛けてしまう。冷静で正しい判断が出来なくなるから、その結果人は自分にとって損をしてしまう選択を取ってしまう。
(↓プロスペクト理論についての専門書です。)
参考
・「行動意思決定論 経済行動の心理学」 竹村和久 日本評論社 (2009/10/1)
・ダニエル・カーネマン(行動経済学者) Wikipedia
・プロスペクト理論 Wikipedia
・The Framing of Decisions and the Psychology of Choice Amos Tversky and Daniel Kahneman [PDF]
・「ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」が出来る時代」 アダム・グラント (著) シェリル・サンドバーグ (解説) 楠木 建 (監訳) 三笠書房 (2016/6/24)