プレイステーションの産みの親 久夛良木健出演 黒川塾62「デジタル・エンタテインメントの未来」に参加してきた。まとめ要約レポート

今回はプレイステーションの生みの親、久夛良木健(くたらぎけん)さんを迎えた黒川塾62「デジタル・エンタテインメントの未来」(2018年7月18日(水)デジタルハリウッド大学院駿河台キャンパス)に行ってきました。黒川塾の6周年にふさわしい大物ゲストの登場です。ゲームで育ったゲーム好きとしてはこれは行くしかない!今回もメディアNGの箇所は(渋々)省きつつ、個人メディアで書けるところまでまとめていきます。

ゲスト:久夛良木健 SONYプレイステーションの産みの親!!
現:サイバーアイ・エンタテインメント株式会社 代表取締役社長 CEO

今回の黒川塾を開くにあたり、主宰の黒川さんは久夛良木さんに熱烈オファーをして自宅にまで伺ったそうです。プレイステーションを通して世界のエンタメを大きく発展させた久夛良木さんが今何に興味があるのか、そしてエンターテイメント業界に関しての久夛良木さんの思考や観点を興味深く聞くことが出来ました。

最近の活動

現在の久夛良木さんは会社経営や取締役会などの付き合いで忙しくも充実しているとのこと。ボケ防止のために、一週間に3回ほどジムに行って体を動かす機会をとっており、脳の衰え防止として好奇心を絶やさないために一日に論文を10本ぐらい読むそうです(半分英語・半分日本語)。現在の活動拠点は自宅の近くだから、通勤がない上にずっと好きなことをしているから毎日が休日だといいます。

AIについて

最初のテーマとして「人工知能とかVRがブームの中で、AIの今の現状についてどう思のか?」について聞かれました。久夛良木さんは「2001年宇宙の旅(外部参考リンク)」で子供の頃からAIに憧れていたといいます。

「今はどこでもAIって書いてあるし、耳タコになっている状況だ。僕は子供の頃から「2001年宇宙の旅」を見てAIに憧れていた。あのころからAIに対してずっと憧れに近いロマンチックなものを感じていた。」

そして1982年以前パソコンが一般に普及する前から自作でPCを作っていたとか。AIは当時から知っていたものの、世間ではキワモノ扱いだったそうです。

「当時パソコンといえばコンピュータの画面に緑色の字が表示されるぐらいのものだったから、世間からはキワモノ扱いだった。映画は色んな特撮技術で未来のビジョンを上手に描くことができた点でコンピュータよりも進んでいた。AIはコンピューターと一緒で当初は怪しい技術だと思われていた。でもそんなAIがずっと好きだった。ゲーム業界を引退した後に、自分が若くなれる(好奇心を持てる)のはなんだろう?と考え、「よし、AIを追ってみよう!」となった。10年ぐらい前のことで、SCE辞めて1年ぐらいの頃だった。今はAIは本屋に行ったら関連書籍が平積みにされているね。」

AIに関しては、将来的に身体性(肉眼で見える実態)がブランディングに必要になるとのことでした。Googleのディープマインド技術(アルファ碁で使われている)は、海外大手ゲーム会社ブリザード社のスタークラフト2にAPIを提供しているといいます。ゲームの中でAIの試みが行われているのです。対戦相手が人間では無く、AIとなるゲームの登場でよりいっそう面白い体験ができると久夛良木さんはいいます。

「将来的には、AIゲーマーが出てくるかもしれない。eスポーツにAIゲーマーが入ってきて、人類がボコボコにされるかも。でも、こうした人類とAIの対戦は面白いと思う。人工知能AIを打倒するために人類が結託する(北朝鮮とアメリカが協力するような)未来がでるかもしれない。」

AIとエンタメの組み合わせでは、ゲームの中に出てくるAIやデバッグのAIに加えそれ以外のAIの登場など、新しいエンターテイメントの可能性は大いにあるのだといいます。

■AIについては以下のモリカトロンの記事も参考にしてください
「ゲームプログラマ、プランナーのための ゲームAI『超』入門勉強会 in コロプラ」 に参加してきた。 モリカトロン主催 コロプラ本社in恵比寿

バーチャルとリアルとエンターテイメント

次は久夛良木さんはゲーム業界が長かったので、現在のゲームの関心やテクノロジーについて聞かれました。任天堂の宮本さんがソフトウェアでゲームを体現した人なら、久夛良木さんはハードで牽引されたのではないか、と黒川さんが質問をしたところ、「それは違う」と断言します。なぜなら久夛良木さんはハードにこだわってプレイステーションを作ったのでは無く、単にコンピューターとエンターテイメントを結びつけたい、そしてみんなでエンターテイメントを盛り上げていきたい、という情熱で動いていたからです。

「(VRの質問とかをよく受けるので、)みんな僕がバーチャルが好きだと勘違いしているが、僕はリアルの方がはるかに大好き。なんでみんな僕がバーチャルに興味があると勘違いするのだろう?」

「VRについて色んな人からよく聞かれるが、VRは1970年代ごろからあった。昔からあったんで、VRは僕らから見れば何度目に出てきたんだ?ってかんじ。当時のソニー社内でもVRは検討されなかったし、そもそも僕はバーチャルには興味ないからVRにも興味ないんだけども。」

そして、プレイステーションが生まれたのは遊び心からでコンピューターとエンターテイメントを結びつけることを体現したい一心だったことが語られます。

「僕はエンターテイメントが好きで、エンタメを仕掛けるのも、楽しむことも大好きだ。ハードウェアに関しては、遊びで作っていたらプレイステーションという形になっただけ。遊びで作らないとあんなの出来ないし、一生懸命企画書書いて、予算会議を通していたらプレイステーションなんてものは作れない。エンターテイメント市場で、みんなが楽しめるものを作りたかった。ハードを作るにしても子供の玩具ではなく、規模が大きい大人の遊びを作りたかった。コンピューターとエンターテイメントの融合したカテゴリー・ジャンルが出来たらいいな、との思いで動いていた。僕が遊びたかったからというのもあるし、みんなを楽しませてやろうと考えていた。

プレイステーションのヒットについては、あくまでプレイステーションは既存の娯楽とテクノロジーを結びつけた一つのきっかけを提供したに過ぎなかったと言います。当時からハリウッド映画や早川文庫のSFシリーズやら、アニメーションやらいろんなエンタメの土壌があって、テクノロジーと結びついて今の状態になるのを待っていたといいます。大人でも遊べるエンタメ、そして外国人でも参加できるエンタメをめざしてプレイステーションは制作されたのです。

当時のゲームは小学生の男の子の通過儀礼のオモチャだった。中学に行ったら、彼らは女の子とかスポーツとかに興味がでてゲームは卒業してしまう。当時の空気も「どうせゲームは通過してしまう男の子の遊びでしょ?」という意識が蔓延していた。そこで、もっと大人を引っ張り込もう、女の子も引っ張りこもうと思った。世界展開も考えていて、アメリカ人は陽気だからいけるだろうと思ったけど、ヨーロッパの人は難しいだろうと感じていた。イタリア人はゲームなんかするよりも食事した後は女の子追っかけていった方が楽しいと思うだろうし(笑)。だから、彼らも「これは!」って思うようなエンタメを作りたいと思った。そして、ゆくゆくは彼らが自分でエンタメを作って欲しいという思いがあった。当初からちょっと無理してグローバル展開をした理由がそれ。今はその世代から新しい世代が生まれつつある。クリエイターからすると3,4周はしているかもしれない。今だったら(会場の)デジハリでも(ゲームを)作ってるし、(中国とかでは)国の人たちがゲームエンジンを開発しているっていうし。」

久夛良木さんはエンターテイメントを追求していく中でコンピューターと出会ってエンターテイメントと結びつける事をしていただけで、特にバーチャルの世界に興味があるかというとそうではないとのこと。会場では「バーチャルの何がいいの?」って久夛良木さんが言ったとき、「できないことができるのが最高」と黒川さんは返答しましたが、久夛良木さんはそれを聞いて「いや、現実でやろうよ。」とのこと。さらにはメディアでバーチャルの人と書かれることも多いから、現実で楽しむことを重視する久夛良木さんは未来永劫(!)バーチャルに興味を持つ事は無いと強調していました。その理由は「現実にやった方が楽しいし、経済的にもリアルと結びついた方が儲かるから」とのことです。

リアルと結びつく事による経済規模の拡大とeスポーツについて

バーチャルに興味が無いといっても、久夛良木さんはバーチャルやファンタジーの世界を否定している訳ではありません。

「普段はみんなリアルの世界をベースに生きている。僕もファンタジーは好きだし、ファンタジーが必要な気分になる時もあるけど、リアルの世界の上にほかの経済も回っていることを考えれば、大きいことをしたいならリアルと繋がっていないといけない。例えばスマフォで大きなビジネスが出来るのは、スマフォはリアルと繋がっているから。eスポーツは観客というリアルと繋がっているからこそ盛り上がる。」

リアルと結びついた方が圧倒的に経済規模が大きいのです。人類には昔から「リアルの世界を手元に持って行きたい」欲求はあって、テレフォン(電話)の発明では音声、テレビジョンの発明により音声と映像が圧縮されリアルとの距離が縮まってきました。現在ではスマートフォンが最も身近なリアルの世界と自分をつなげるコンピューターになっています。

スポーツはリアルな世界に観客がたくさん存在しているから成立しています。だからゲームというデジタルな世界でもリアルの世界に観客がいればスポーツとして成立するわけです。日本ではまだまだeスポーツが成熟していないのは、このゲームとリアルを結びつける考え方が浸透していないからだといいます。eスポーツもやっていることはゲームだけど、観客や配信というリアルと繋がっていることが重要です。日本のeスポーツを盛り上げて行くにはテニスの世界で錦織選手が頑張ったことで注目されたように、ヒーローが必要とのことでした。

そして話は日本と海外の違いについて続きます。

ゲームエンタメの日本と海外の差

ゲームの世界でも日本はガラパゴス化しており、世界では通用しないルールで成り立っているとの話が聞けました。

「どうも、日本でゲームやっている人は精神が男の子のままで終わっている人が多い。世の中はぜんぶファンタジーだ!と思い込んだりしている。僕はファンタジー好きだけども、ずっと線画で24時間生きる気はない。リアルの方が経済が回るし、バーチャルになんの意味があるんだ?と思う。サマーレッスン(外部参考リンク)とかで横にいい子がいると気持ちいいけど、リアルで横にモデルがいたほうがもっといいでしょ?」

日本と海外での差は意識にあるといいます。海外ではゲームを作っている人も遊んでいる人も大人であり、ゲームが大人としてのエンタメとして文化として根付いています。みんながみんな、ずっと子供の頃遊んだゲームに浸り続けられるかというとそうではないとのこと。みんないつかは大人になっていくし、大人のために大人がつくるエンタメが成立しているのが海外なのです。日本のように2次元アニメの広告や看板が至る所にあるというのは日本独特であり、別にこれが悪いわけでは無いけれど、経済規模を考えれば言うと圧倒的に後者のワールドワイドで通用する大人のエンタメが求められているとのことです。

日本のゲームのテイストは海外では見られず、中国ではいっとき日本と似ている空気感があったけどそれも通過した後だといいます。(これに関して例を挙げれば、最近の中国のスマフォゲーム「我が野望(外部参考リンク)」はリアルテイストな大人のスマフォゲームだと思います。)

久夛良木さんは立命館大学でアジア圏の留学生に教えているけど、彼らが既にクリエイティブの面で日本のメンタル追い越しているといいます。これは、かつてはただ日本のゲームの物真似(主に絵柄やデザインを真似ていた)をしていた彼らが、デザイン面・絵柄といった「ガワ」の側面だけで無く、その創作の精神面で日本を超えてきている状況を指摘しています。日本だけがガラパゴスであり、それを明確に示しているのがソーシャルゲームのガチャ課金が成り立ってしまっていることだといいます。確率で強いキャラクターや有利になるキャラクターを与えるというガチャ形式の商売が成立するのは日本だけであり、世界ではそもそもガチャは法律で規制されているのになぜか日本では規制されない現状があるとのこと。このまま世界で通用しない日本だけで通用するスタイル(スキーム)をやり続けていいのだろうか?とのことでした。

久夛良木さんはアプリゲームについては専門外だからあまり発言出来ない立場だとしながらも、「ガチャ課金のような確率で当ててねっていうのは何か違う」と感じているようで、これにはすごく同意です。どっぷりとソシャゲガチャに浸ったこともある私だからこそ言えるのですが、ガチャはやっぱり「不健全」です。ゲーム性を進化させるのでは無く、ただ射幸心を煽り、ユーザーが低い確率を当てることに悦びを見いだす流れになっていて、儲かるけれどもゲームとしてはつまらない、不健康極まりないギャンブルになってしまったゲームが多く蔓延していると思います。

「この前ソニーインタラクティブエンターテイメント(SIE)の連中と飲みながら話したら、一人海外で育った女性でSIEに来た人がいて、その人は海外ゲームばかりプレイしているんだけど、日本に来て「日本人はなんであんなぬるいゲームばかりしているのか!」と言っていた。彼女は海外で育っているから、日本に来て見て心底びっくりしたみたいで。「なんでこんなに違うの?本当にぬるいゲームばかりで驚いた。」と言っていた。」

そして以下の言葉がとても印象に残りました。

今のゲームはグラフィックスだけはきれいだけれど、やっていること・間の取り方・ゲームの文法は10年前と変わらない感じがする。変わらなさすぎるよね。

プレイステーション制作秘話

話はプレイステーション制作当時のことに移ります。

もともとプレイステーションはスーパーファミコンの付属品(スーパーファミコン互換のCD-ROM一体型ゲーム機)として開発されていました。久夛良木さんは任天堂にスーパーファミコン用の音源を納入するために毎週1回は任天堂本社に行くほど関係がありました。

■外部参考リンク:Gigazine 「ソニーがかつて任天堂と共同開発したスーパーファミコン互換「PlayStation」の実機が見つかる」

しかし、大人の事情で開発が頓挫。(任天堂から一方的に契約を破棄されたらしい。)そこで久夛良木さんが、当時のソニーのみんなを駆り立てて、新たなゲーム機プレイステーションを制作したのです。

■外部参考リンク:ゲーム業界.com「プレイステーション誕生秘話Part.1 裏切りの任天堂編」

任天堂がどうのこうのとかは考えたことはない

久夛良木さんはよくプレイステーションの話の中で、任天堂との関係について聞かれることも多いのだとか。音源の取引先で任天堂を選んだのはファミコンをみて良いと思っただけであり、別に任天堂さんがどうのこうのとか考えたことがないといいます。立命館大学で元任天堂の上村さん(ファミコン開発者)と二人でトークショーやりましょうってなり、二人とも仲がいいとのこと。久夛良木さんは当時、任天堂にほぼ社員状態・顔パスで任天堂に入れたそうです。社員証は無かったけど、上村さんはすごく歓迎してくれたといいます。SONYと任天堂の対立の構図はメディアがつくったもので、久夛良木さんはゲーム業界は盛り上がったのでそれはそれでいい、といった感じで任天堂とのことを話していました。

プレステは絶対失敗すると思われていた。

プレイステーションは当時、全く期待されていなかったそうです。それを示すかのように、プレイステーションの発売は1994年の12月3日ですが、発売日には全くメディアが来なかったとのこと。

「このまえ京都平安神宮の図書館の新聞の縮刷版で94年の12月3日を見てみたが、何もプレステ発売に関することは載っていなかった。」

当時プレステはみんなに「絶対失敗する」と思われていたそうです。

「特にゲームのトップの人たちは絶対失敗するって思っていた。疑心暗鬼どころでは無く、100%失敗すると言っていた。当時はメディアも来ないし。」

発売から半年で70万台ほど売れたものの、その後の「いくぜ100万台」キャンペーンを行った背景には、部品を大量発注し、後には引けない状況で100万本売らなくてはならなかったことに加え、ある親分(注:当時任天堂社長の山内博)が「100万台売れた逆立ちで歩いてやる」と約束したことも影響していたそう。しかし100万台売れた後でも、某親分の逆立ち歩きは無理だったそうです。(この話の顛末が直接聞けたのは貴重でした。)

新しいクリエイターたちを発掘していたプレステの力

売れたことは売れたけれど、何がきっかけでプレイステーションがメディアが取り上げられたのか分からないそうです。半年経ってから、セガのバーチャファイターとか色々出てきて、徐々に知名度が上がっていったのでは無いか?ということを話していました(司会の黒川さんは元セガ)。そしてそのあと、ノーマークだったタカラの「闘神伝(外部参考リンク)」など良質なゲームが続々でてきたことが影響しているのではないかとのこと。

そして、期待されていなかった分、色んなクリエイターたちに創作のチャンスを与えていたのがプレイステーションでした。当時、ゲーム会社は社員の引き抜きを恐れ、スタッフロールにも名前を載せなかったり、自社で抱え込んでいる社員を表に出すことはしない閉鎖的な環境でした。違う会社間の間で開発打ち上げパーティーを企画しても、他社に引き込まれることを恐れた会社側は社員をそういった場に出そうとはしませんでした。

プレイステーションのソフト開発環境はPCゲーム畑にいた人たちを中心に、数人規模で作っていたそうです。多くても10人いなかったぐらいで、少なくとも20人は絶対にいなかったと言います。ここで印象的だったのが、当時からプレステは開発のためのライブラリ(技術のセット)を用意していたそうです。

「(開発者に)ライブラリを用意していたのは僕らが一番最初だったかもしれない。今だとgithubとかオープンソースが色々出てきているけれど。ナムコの「リッジレーサー」でコマ落ちだらけだったとき、なんとか歯を食いしばって開発してようやく30フレームで動くようなコードが出来たぞ!ってなったとき、コードを共有したりしていた。(当時としてはとても大胆なこと)」

共有する際にも「共有しますってどういうことですか?」と言われたそうです。当時は技術情報は社内秘密にすることが当然でした。「(秘密主義の時代だったけど)頭の中にコードは入っている。こういうライブラリで切り出して、制作チームに共有しましょうね。」って感じで共有していたそうです。セガの「バーチャファイター」の後にタカラの「闘神伝」が作れたのも、バーチャファイターの技術を共有できたことが大きいのだとか。

プレステはネットに溶けるマシン

久夛良木さんは10年以上前に、プレイステーションはありとあらゆるものがすべてインターネットと繋がっていくことを予想していました。その予想通り、現在はほとんど実現出来ています。セーブデータやゲームデータはインターネット上に構築され、開発のフレームワーク自体も既にネットで行われるようになっています。一応入り口としての物理ディスクはあるけれど、重要では無い時代になりました。機種に縛られないクロスプラットフォーム形式も当然になっています。将来的には専用ゲーム機という概念自体がどうしてあったのだろう?と思われることになるとのことでした。

今は手元にモノが必要ない時代になり、数年前はグラフィックス能力の関係でマシンは必要だったけれど今はそれも必要なくなってきたといいます。すべてがクラウド(インターネット上のサーバー)に置かれ、物体は同期するためのインターフェースとして欲しい感じになるのだそう。実態があるようにみえて、中身を開けると空っぽのものも増えてきているといいます。その例として車をあげ、昔の車は開けると様々な仕組みやマシンが見れたけれど、今の車は開けても空っぽなのだとか。ネットで色んな処理が行われる時代になっているのです。

プレイステーションはエンターテイメントの進化を目指してきた。

日本は家庭用ゲームの成長進化が遊び方のトレンドを形成してきたけれど、「プレイステーションは家庭用ゲーム機というくくりには入れて欲しくない」と久夛良木さんはいいます。プレイステーションは家庭用ゲームでは無く、エンターテイメントマシンであり、エンタメというジャンルそのものを進化させた存在とのことです。

「僕はプレイステーションが家庭用ゲームとして進化してきたとは一言も言っていない。僕の中では家庭用ゲームと言ったらマリオとソニック。プレイステーションは通過儀礼の玩具ではなく、コンピューターエンターテイメントの進化軸で考えている。みんながやりたい、参加したいと思われるエンタメマシーン。だから、プレイステーションが家庭用ゲームと言われるとびっくりしてしまう。プレイステーションがでたから、xboxが出てきた。ビルゲイツと「おまえ(久夛良木さん)がやるなら、俺(ビルゲイツ/マイクロソフト)もやるぞ」って感じで会話したこともある。ゲーム機を出すのなら、それだったら同じもの横でぶつけるぞって言われてぶつけられたのがxbox。僕はどうぞ!と新規参入を促した立場。そうすることで色んな人たちが活気づくから。

当時のIT(ハイテク)業界では、任天堂・セガが主戦場としているリビングルームに参入することは大変だったそう。それでもやり遂げたのだから、すごいエネルギーを持って行動されたのだと分かります。

現在のゲーム制作環境と技術を共有する時代

開発に関して、今は技術を共有する時代で、秘密主義ではやっていけない時代となったことが指摘されました。「論文がでたら既に遅い」とのこと。かつて制作現場では巨大な資本を必要としていましたが、今やそれも必要では無くなったといいます。AIに関しても自分で文献を読んでサンプルコードとかで自分で試せる、個人で試せる時代になりました。資本の壁がなくなり、不条理だった障壁がどんどん取り除かれつつあるのです。こんな時代に情報遮断していると、自分たちが取り残されてしまいます。技術共有の流れは変えられないのです。著作権は重要だけれど、今は特許を取って囲い込む時代ではないといいます。著作権は工場生産の時代は必要でしたが、エンタメのように新しいものをバンバン作っていく時代になると共有が大事になるとのこと。ただ、貢献者や努力した人を尊敬する気持ちは大事にしておくべきで、どんな人たちが改良していったか、クレジットに残すことが大事になってくとのこと。ハリウッド映画ではユニオンの規則で関わった人たち全員の名前がエンドロールに載ることが決められているそうです。どんな人たちがやってきたのか、積み上げてきたのかを知ること、共有することが大事になるとのこと。そして個人で色々できる時代だからこそ、仲間が出来るともっと面白くなるとのことでした。

ゲームはエンタメのキングに成長した

プレイステーションを世に出したことで、現在のゲーム・エンタメ産業は大きく発展しました。ゲームというくくりで統計を見ると、ハードを除いたコンテンツの部分だけで13兆円もあるとのこと。映画はその半分(約7.5兆円)で、音楽はその更に半分(約3.5兆円)となっているのだとか。いかにゲームが世界で愛されるコンテンツビジネスに成長しているかが数字で分かりますね。

コンピューターエンターテイメントとしてみんなで育て上げたからということが大きい。家庭用とか関係なく、新しいエンターテイメントドメインを作った自負がある。」

ソニーミュージックの人とか、元々音楽をやりに来た人がゲーム業界に入り「パラッパラッパー(外部参考リンク)」を作ったりして、これまでにないジャンルが見られた初代プレイステーション。ゲームを作ったことない人にも作りやすいようにライブラリを提供して、色んな人を巻き込んでプレステドリームを見せたことはすごいと思いました。

エンタメのヒントはアメリカのテレビドラマにあり

次はエンタメのヒントや着想をどこから得るのかの話に。今最もエンタメのヒントが詰まっているのがアメリカのテレビドラマシリーズだとか。久夛良木さんは睡眠を削るほどハマっているそうです。

「テレビドラマには気づきのヒント、未来へのヒント、たくさんの才能が埋まっていると思う。深夜にテレビドラマ見て、寝落ちしてしまうこともある。ビデオは寝落ちしても停まってくれないし、巻き戻すのがめんどくさいからそのまま流しちゃう。毎日夜寝る時間が無いから大変だ。片目で見たいし、一旦見始めるとやめられなくなる。全話一気にみたいが、力尽きるところまでみて、次の機会に残りの10話ぐらいを一気にみる。こうした作品がいくつもあるから、すごいなぁと思う。何より面白いし、あの面白さはすごい。」

アメリカのテレビドラマで働く彼らは元々映画をつくっていて、映画では出来ないシーズン単位の長期作品や、バックグラウンドが異なる多種多様な、色んなエンタメで育った人たちが絡んでくる場だそうです。

「(アメリカのテレビドラマの)あのスピード感とあのワクワク感。実在しないのに、何かあるような感じ。語弊を恐れずに言えば、現時点で実際には無いけれど、一年後にはあるかもしれない何から何まですべてが埋まっていると思う。アイデアとか、作っている人たちが何かを感じとっているからああいったコンテンツが生まれてくる。昔のハリウッドは100億ぐらい制作費にかかっていた。才能ある人だけじゃ無く、(経営とか)別の人種も入ってきて、思ったようなコンテンツができない場合がある。テレビシリーズは面白くないと打ち切りになるので、みんな面白さを追求しているし、テレビシリーズはたくさんの数のプロットが埋められている。」

そして久夛良木さんが最近プレイしたゲームで、私もレビュー記事を書いた「デトロイトビカムヒューマン」もプレイした話が聞けましたが、不満点もあるようで。

「先週末は「デトロイト」っていうやつをやった。シナリオ分岐があるといえども、テレビドラマのマルチプロット展開の影響かなぁ、時間軸が停まっている感じがする。ゲームって模索している最中、マリオにしても何をするにしても時間軸が流れるものだと思っているのだけど、デトロイトは一人でやるじゃない?じっと操作するような、時間軸がとまるような感じがして、それ自体がストレス?になっている。僕ぐらい年取ると、こういうのはあきちゃうなぁ。リアルの世界はずっと常に時が流れているし、ネットゲームが面白いのもぼーっとしていたら流れてしまう共有時間を感じられるからだ。何度も何度もリトライさせるのは、昔のゲームみたいで、ちょっとちがうかなぁ。大人が遊ぶゲームなのに、一つのシーンごとで停まっているのは、一体僕に何させたいわけって思う。(デトロイトは)エンタメでは無く、べつのジャンルかもしれない。」

一応「デトロイト」のフォローをしておきますと、選択肢を選ぶときは時間が流れることを体験でき、急いでコマンドを入力しないと焦るほどなので、シーンごとには時間軸はあると思います。おそらく久夛良木さんにとっては複数のキャラクターごとに場面展開が変わるのが気に入らない箇所なのかな?と思います。ただ、時間軸の観点でエンタメを分析する発想は私の中にはない着眼点でした。「現実世界は並行して色んな物事が進んでおり、停まることは無く、ぼーっとしていると置いていかれてしまう」ことが面白さを生む視点は考えてもみなかったです。

久夛良木さんのアドバイス

最後に、久夛良木さんから今の人たちへのアドバイスがありました。

「これからの世界をどいう風に生きるか。僕は、日本人はもっとはじけ飛んで欲しいと思う。日本人は盛り上がるにしても、一気になかなかいかないじゃない。ラテンの国とかならすぐに盛り上がれるけれど。あと人生は一度しか無いから色々と耐えない方がいい。日本はじっと耐え忍ぶ文化だけど、僕は耐えてない。むしろ僕の周りが耐えていたと思う(笑)。やっとかなかった後悔より、やったほうがいい。人生は好奇心があってこそ生きていることは好奇心があるということ。ぜひはじけて欲しい。はじけそうなやつがいたら、おだててもっとはじけさせる。ただ、あんまりはじけてばっかりだといけないから、いいチームを作るのは大事になる。そして僕はあまり国を感じた事は無い。基本みんな一緒だからね。飲み屋にいって色んな人と飲んでいて分かったのは、みんな流動性が高いと言うこと。いろんなものが混ざってて、一箇所に縛られているわけではないこと。

好奇心旺盛に、一度しか無い人生自分が興味を持ったことをドンドン突き進めていこう!と思えました。今回の黒川塾も最高でした。

参考リンク

久夛良木 (Wikipedia)
サイバーアイ・エンタテインメント株式会社 経営陣紹介ページ
「久夛良木が面白かったからやってただけ」 プレイステーションの立役者に訊くその誕生秘話【丸山茂雄×川上量生】(ファミニコゲーマー)
黒川塾62 概要ページ Peatix
CESA:久夛良木健第1回「プレイステーションの父が語る半世紀」

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