今回は意志決定の心理学で、経済行動学者で認知心理学者ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー あなたの意志はどのように決まるか? 上巻」をレビューします。本書は多くの意志決定の心理学の参考文献としてもあげられており、通読してみると確かに本書を読むことで得られる意志決定のプロセス、人の認知バイアスに関する研究知見はかなりのもの。いかに普段自分が何となくの流れで物事を判断しているのか、どのように状況・事態を認知し決定を下すのかについての視野が拡がります。ちょっと学術的すぎて冗長であることが難点でしょうか。
目次(Contents)
ファスト・アンド・スローとは?速い思考と遅い思考について。
本書のキーとなっているのは速い思考と遅い思考の二つのタイプの認知です。それぞれファスト&スローという本書のタイトルにもなっていますが、本書序盤に来るこの二つの概念、これがイマイチ分かりにくいですね。
以下、ざっくりと説明すると、
速い思考(ファスト)は本書ではシステム1と呼ばれる思考モードで、殆ど努力を必要としないぱっと見の認知のこと。
遅い思考(スロー)は本書ではシステム2と呼ばれる思考モードで、複雑な計算や思考、選択などしっかりと頭脳を働かせないといけない知的活動に使う認知のこと。
具体例として、
遅い思考(スロー、システム2);内省、意見、準備、計画、選択、音楽を聴いて記憶を思い出す、合理性、知的努力、論理思考、複雑な計算
が例としてあげられています。そして私たちは常にこの二つの思考モードを交互に働かせて活動しています。
どの思考モードが働いているかで選択の傾向が変わる。
遅い思考が忙殺されているときは、速い思考が優先されるようになります。速い思考は短期的・利己的で、自分に甘い選択をする傾向にあり、遅い思考は計画性、長期的な利点を考えます。何か知的労働をして遅い思考を酷使し続けた後は速い思考が優先されるようになります。例えば、仕事のお昼休みに無駄にコンビニで菓子類やジャンクフードを買ったり、仕事終わりの疲れている時に無駄な買い物をしてしまうのは遅い思考(自分の理性で本能を抑えるモード)が疲れているため、速い思考(自分の欲望に忠実なモード)が優先されるからです。
そしてこれはセルフコントロール能力に繋がっていく話です。疲れたときほど短絡的で、自分に甘い選択に流れていきます。その時その時の脳のエネルギー状態によって意思力が変わるという指摘は、振り返って日常を見てみると思いのほか至るところで体験していることに気づきます。
本書では面接官や何かの判定人が空腹で消耗している時には雑な合否判定をしてしまうという例が取り上げられており、判定人の状態や気分(脳の状態)によって意志決定が歪んでしまう事例を知り恐ろしく思いました。更には面接官は自分の直感に囚われやすくなることが示唆されており、面接官を最終決定者にしないことが奨めています。
なお、脳の消耗と集中力についての知見はカル・ニューポートさんの著作「大事なことに集中する。」ダイヤモンド社に詳しいです。
関連:【まとめと要約】集中力に関する洞察を得られる 「大事なことに集中する。」カル・ニューポート ダイヤモンド社
連想する本能。先に得た情報から後の認知判断が大きく影響されるプライミング効果は想像以上に強力!
例えば以下の二つの単語、
「りんご」 「芋虫」
というワードを続けて見たときに、特に言われて無くても「虫食い林檎」のイメージが思い浮かぶのは、私たちが二つの連続した情報を無意識に結び付けて連想する性質を持っているからです。この連想する本能とも言える仕組みはプライミング効果として知られています。プライミング効果とは、最初にある概念が与えられるとその後に続く概念が最初の概念の影響を受けて認知されることです。
他にも「老い」「衰え」を連想する単語を事前に言われた人は仕事のパフォーマンスが下がる研究が紹介されています。
以前ブログで取り上げたアンカリング効果も紹介されており、私たちはオークションでの予想落札価格、通販でのメーカー希望小売価格など、直前に提示された数字に引っ張られて安いか高いかを考えてしまいます。身近な所で言えば、メルカリなどのフリマサービスでの売れた商品の参考価格はまさに相場を決定するアンカリング効果であり、出品者も購入者もいくらで取引するかの目安としているでしょう。
関連:アンカリング効果とは?直前の情報や数値を基準に判断してしまうこと。
私たちは思っている以上に事前情報に左右され、無意識に頭の中で考えている事に判断や能力が左右されるということです。
慣れ親しんだものが大好きな人間。
心理学では単純接触効果という概念がありますが、私たちは慣れ親しんだ情報(反復して接触する人、商品、情報)ほど好意的に捉える傾向があります。また慣れ親しんだものほど苦労せず認知することができるため、疑うことなく信じる傾向にあります。これは認知容易性といって、認知しやすい情報ほど真贋を考えようとはせずに、素直に真実だと思いやすくなります(友達からの情報は正しいと受け入れ易く、Google検索で上位にきたものや、太字で強調されたテキストほど重要で正しいと認識する)。フォントの読みやすさや呼びやすい名前であることは効果的に受け入れられます。基本的に人は認知的努力が必要となる情報は毛嫌いし、直感で分かる、理解できるもの好みます。そして気分が良いときほど情報をそのまま受け入れ易くなります(気分が良いときほど詐欺師に引っかかりやすくなると言える)。
越智啓太さんの「美人の正体」(実務教育出版)では、認知のしやすさが人の魅力を高めるという考察が紹介されています。
関連:【書評と要約】「美人の正体」越智啓太 外見的魅力と恋愛心理学についての包括的な知見が得られる
自分が見たもの、感じた事は真実で、正しいと思いたい、信じたい。
私たちの持つ強い傾向として、「第一印象(速い思考)で感じ取ったことが基準となり、それを疑ったり、間違っていると認める事はしたくない」ということがあります。これは確証バイアスといって、自分の印象に都合が良い情報を後から遅い思考が裏付けをして行く過程に表れていきます。
さらに本書では自分の経験則で考えるヒューリステックについても紹介されています。ヒューリスティックとは自分の連想しやすい、想起しやすいもの(経験則で知っている物事)に置き換えること。ヒューリスティックの罠としては自分にとって認知しやすい情報ほど真実味を持って正しいと感じられることがあります。
参考:「思い起こしやすさ」の心理学 簡単に思いつくモノほど重要と感じる傾向
利用可能性ヒューリステックは、思い起こしやすい・印象に残るものほど確率が大きく感じられるものです。例えば、飛行機事故の確率は極めて低いのですが、事故の印象が強いため飛行機恐怖症になる人も多いです。
代表性ヒューリスティックはある対象に一般的に想像される理想像ということで、そうしたイメージに適合した人物ほどもっともらしい、それらしいと信頼してしまいます。
感情ヒューリステックとは、自分の好き嫌いで対象のリスクや評価を見積もってしまう事です。好きな物事ほどひいき目で見るし、嫌いなものほどリスクや欠点が大きく感じられます。
関連:経験から導き出される法則ヒューリスティックとは?+その問題点について
直感は当てにはならない。統計的なエラーは人間につきもの。
本書で意外に多く触れられているのが統計的なエラーと人の認知についてです。
私たちは、印象を重視しそのことが統計的なエラーと繋がっていきます。例えば小さなサンプルサイズだと極端な事例が生じやすいのですが、あたかもその極端な一例が平均的な事として感じられます。大きな人口=サンプルサイズを持つほど統計的には正しい数値が出ますが、変化に乏しいです。大きな変化が目につく小さな集団で発生した物事ほど重要で信頼できるデータだと認知しやすいのです。
また、統計学的な検証によるデータよりも、自分の直感や自信、専門的な知識や経歴を重視します。
例えばサイコロやコインの裏表で同じのがずっと連続で続くはずがない(ずっと裏が出続けると次は表が出るだろう)、と思い込んでしまうのも確率に関しての統計的なエラーです(人は直感にそぐわないものは忌避する傾向がある)。
後付け大好きな人間。因果関係を見つけたい。
本書ではサクセスストーリーほど後付けで辻褄が合うように整えられたものはないとバッサリ切り捨てています。ただ、本書を読むと私たちはどうしてもそういった分かりやすいサクセスストーリーを望んでしまうそうです。
完全にランダムな物事でも、私たちは規則性を見つけ、原因を追及しようとする傾向があります。これは私たちが因果関係を見いだそうとする認知傾向を持っていることを意味します。例えば、ビジネスにおいては「運」がとても重要なファクターですが、「運」よりもその人の人格や努力と言ったストーリーやエピソードに心惹かれる人が多いのではないでしょうか。
平均への回帰では、あらゆる物事にはたまたま上手くいったときと、上手くいかない時があります。試行回数を重ねるほど平均に近づきますが、私たちは極端な例だけを抜け出して、あたかもそれが普遍的でずっと続くように捉えてしまいます。調子の波は必ずありますが、成功者には成功し続ける事が期待され、更にハロー効果として関係の無い他の側面も良く見えてしまいます。
関連:世界は平等で予測可能であるという思い込み 公正世界仮説が認知を歪める
感想・まとめ 本書に収録された人の認知に関しての知見はかなりの分量。ただ学術的で読みにくく、冗長さを感じる部分も。
本書は意志決定の心理学では有名な本で、多くの文献にも引用されています。
ただ、手放しで良著かと問われると疑問が。確かに豊富な知見は得られるのですが、分量が無駄に多すぎて、堅い学術的な文章がみっちり詰まった構成なので飛ばし読みを挟まないと挫折しやすいタイプの本だと感じます。知見に対して具体例や研究紹介が多いので、逐一全部読んでいると時間が掛かります。
前半は早い思考、遅い思考の対比など面白く読めましたが、後半から人が持つ認知バイアスによる統計的なエラー(確率認知の誤り)の例や他の心理学で扱われているハロー効果やアンカリング効果などがテーマで私個人としてはそれほどワクワクするような知見は得られませんでした。
本書から読み取った印象に残った部分をシンプルに要約すると、
・人は面倒くさがりで、思考を必要とするタスクが嫌いということ。
・自分にとって馴染みのある物事ほど真実で正しいと思いたいこと。
・人は自分の想像以上に事前情報に左右されていること。
・統計的な検証よりも、自分の印象や直感、自信が正しいと思いこむこと。
などでしょうか。ちなみに知的努力(遅い思考)を要する読みづらい書体の文章ほど記憶には残りやすくなるそうです。
下巻は著者のダニエル・カーネマンを有名たらしめたプロスペクト理論(リスク回避、選択選好)、行動経済学についての話が載っています。
人の脳は簡単に流されるし、自分の今感じている判断や思考もその時々の気分や疲れ具合によって変わりゆくもの。この本を読むと人間の意志についてどこまで信用して良いものか考えさせられますね。
■日本語版「ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)」ダニエル・カーネマン (著)、 村井章子 (翻訳) 早川書房 (2014/6/20)
■原著「Thinking, Fast and Slow」Daniel Kahneman (著)
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